001-100 007慶良間列島に上陸 艦砲で山も変形 地獄さながら“集団自決” 米軍の空襲は、日を追って激しくなった。沖縄上空に米軍機を見ない日はなくなり、日本軍は、もう空襲警報を出さなかった。“定期便”―そう呼んで慣れっこになってしまっていた。 米軍は、すでに一月二十二日の空襲で、沖縄全土の八〇パーセントを航空写真... 2024.05.28 001-100
001-100 006元日も空襲 苦戦激闘の前兆 星空にスパイの信号弾 川平部落(北飛行場から五キロ北の海岸、残波岬に近い)で陣地を作っていた野砲兵第四十二連隊(山三四八○部隊)第一中連隊第一小隊は、陣地を十一月に完成、十二月を迎えた。河本上等兵は夕食後、星空をながめ、鼻歌を歌いながらドラムカンの“湯舟”につか... 2024.05.28 001-100
001-100 005十月十日の大空襲 強い恐怖に震う 友軍機の迎撃も無力 道産子の山兵団各部隊は、北飛行場一帯でそれぞれ陣地構築をはじめた。堅い石灰岩をツルハシとスコップで掘り、モッコで運ぶ。朝の六時から夕方六時まで、一日の休みもない重労働だった。「北海道の兵隊さんは、よく働いた。ふんどし一本、むこうはち巻き、汗... 2024.05.28 001-100
001-100 004山兵団 満州から大移動 本道出身者の主力部隊 本道出身者の山兵団は十四の部隊で編成されていた。 ▽山三四三〇部隊(満州では六三一部隊)師団司令部=師団長雨宮巽中将。 ▽山三四七四部隊(八八部隊・歩兵第二十二連隊)吉田勝中佐 ▽山三四七五部隊(八○三部隊・歩兵第三十二連隊)部隊長北郷格郎... 2024.05.28 001-100
001-100 003第三十二軍の編成と作戦 上陸軍に出血戦法 A案にもとづき配備に 第三十二軍は、昭和十九年三月二十二日、南西諸島全域の防衛を任務として編成された。軍司令官は渡辺正夫中将。装備の貧弱な数百人の要サイ(塞)部隊だったが、戦局の悪化にともない、四月一日大本営直轄となった。 五月三日、独立混成第四十四旅団、第四... 2024.05.28 001-100
001-100 002米軍の沖縄作戦 台湾の孤立狙う 練りに練った上陸作戦 米軍の太平洋作戦の最終的なねらいは、東京から下関にかけての重工業地帯を、破壊することであった。進攻コースは二つ。一つは中央太平洋の島づたい作戦。もうひとつは、南西太平洋を北上する経路。米軍では二十年春に台湾を占領する作戦を進めていた。ところ... 2024.05.28 001-100
001-100 001米軍上陸 海おおう米艦船 砲弾サク裂続く三時間 「上陸開始!」 米第五十一機動部隊司令官ターナー中将が信号を発した。昭和二十年四月一日午前五時六分。摂氏二十二度。空気は冷たいが、天気は晴れのようだ。さわやかな東北東の風。東支那海の静かな海面。沖縄本島の中部の西海岸・比謝(ひさ)川右岸の上... 2024.05.28 001-100