札幌をたつとき、ハブと手りゅう弾をおみやげにしようと考えた。ハブは札幌の動物園に寄贈し、手りゅう弾は、沖縄会が建てる碑のアクセサリーにしようと思った。
沖縄の北海道友の会のひとびとに、いきのいいハブをつかまえてくれ―とたのんだ。北海道へ連れてかえるんだ―といっても、なかなかその気になってくれない。しかたなく、沖縄で十の会社(琉球タバコ、琉球殖産、北大東製糖、大東パイン、沖縄製かん、琉球セメント、琉球香料、琉球洋酒、琉球工業、琉球輸出パインアップルかんづめ)を経営する宮城仁四郎さんにたのんだ。宮城さんは、温厚なゆったりした態度で「生きたハブより、酒にしたハブのほうがいいですよ。あれはよくききますよ」
動物園にハブ酒を陳列せよ―とおっしゃる。動物園の歴史上、そういうことはゆるされない―むねを返答し、かさねて生きたハブを所望した。宮城さんは、日焼けした顔をふしぎそうにゆがめ
「ほう…ハブ酒よりも、生きたハブのほうがいいんですかね。…時間がないが、まあ、さがせるだけさがしてあげましょう」
やっと安心して宮城工場製の戦争の神様・「マルス」ウイスキーをごちそうになり別れをつげた。
那覇港出航のとき、見送りの宮城夫人から、おみやげです―といって手渡されたのは、軽いが大きい箱状のものだった。
〈ハブだ。鹿児島の税関検査のときは、便所にでもかくしておき、汽車のなかは、スチームの近くへおいて札幌へ連れてゆこう〉
出航するとすぐ、どの程度いきがいいか―船室へはいってしらべた。でてきたのは、宮城工場製の琉球タバコ「ウルマ」と、戦争の神様であった。
(うちの黒沢社長も商魂たくましいが、宮城社長もなかなか相当なもんだ……〉
ハブ変じて山のようなタバコ―すう気力もうせ、げんなりしてしまった。
手りゅう弾は、西条団長の猛烈な反対にあった。
「あんたが、いくら綿でくるんで、腹のなかにしまっても、俺は、あんたとは心中したくない。札幌にはちゃんと店もあるし、女房もいるんだ。そんなことをして、もし船を沈めてみろ。せっかく生きて帰ったのに、女房にしかられるし、泣かれるし、俺はこまる」
〈しまった!相談するのではなかった〉と気づいたが、もう手遅れ。那覇の旅館・波の上荘の寝床にはいっても、かくして持っているのではないか―とうたがい
「持っているんだろう? こっそり出して見せろ。俺がテストしてみて、爆発しなかったら持ってかえることを許可する。俺は手りゅう弾にかけては、これでもくろうとなんだから、ヘマはしない。俺ときみは友だちだ。だれにもいわないから出してみせろよ」
西条さんに不安をいだかせながらの旅行はおもしろくない。おみやげはやめた。ついでにドルで買うおみやげの代用品もやめた。
三和中学校の生徒さんたちが集めてくれた箱いっぱいの石・六十キロと沖縄特産の銘石・トラバーチン、そのうえ、夏ミカン大の石二つまで、団長をおどかした罰に、ひとりの力で札幌まで運搬するよう命令されてしまったのである。
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