201-267 267みたまへささげる ねむれるわが子へ…… 母の心、母のうた 四月一日から二百六十七回にわたった「あゝ沖縄」の最終回である。工藤キセさん(札幌市○○)から七月六日によせられた手紙と荒谷きみさん(札幌市○○)が十二月五日、沖縄慰霊巡拝団員として沖縄へ渡って読んだ三編のうたをかかげ、むすびとする。(工藤さ... 2024.05.31 201-267
201-267 266沖縄風俗〈2〉 今に残る貞幹(江戸時代の学者)説 神武天皇は琉球に誕生 沖縄の歴史は古い。江戸時代から浦島太郎が訪れた竜宮城は、琉球である―との説があるが、沖縄本島北西の島・伊平屋島は、天の岩戸の伝説の地である。この島の最北端・田名崎に「クマヤ」というところがある。東海岸の東クマヤから西海岸の西クマヤまで、ドウ... 2024.05.31 201-267
201-267 265沖縄風俗〈1〉 沖縄娘の慕情うたう 南方系の踊り“恩納節” 資料は全部使いきれなかった―と前回に書いた。提供者各位に他日の活用をお約束し、当分保管させていただきたい。 以下二回にわたり、戦争をはなれて沖縄風俗、伝説などを紹介する。 唐手=柔道でも拳法でもなく素手で敵をふせぐ沖縄独特の護身術である。支... 2024.05.31 201-267
201-267 264沖縄会と石碑 遺族や生還者が集まり 北霊碑前で慰霊祭 戦記執筆を命ぜられ、まず主力をそそいだのは資料集めであった。文章技巧で読ませる表現ものではなく、素材ものなんだから―と二十年の沖縄戦の実相を、なまなましく遺族をはじめ読者に伝えようと考えた。生還者を調べ、連絡をとったが、「筆舌につくしがたい... 2024.05.31 201-267
201-267 263おみやげ 生きたハブを所望 中はなんとタバコの山 札幌をたつとき、ハブと手りゅう弾をおみやげにしようと考えた。ハブは札幌の動物園に寄贈し、手りゅう弾は、沖縄会が建てる碑のアクセサリーにしようと思った。 沖縄の北海道友の会のひとびとに、いきのいいハブをつかまえてくれ―とたのんだ。北海道へ連れ... 2024.05.31 201-267
未分類 262糸満の海 まぶしい陽光のもと 俗界の雑事忘れさす あと六回、十二月二十八日付け夕刊をもって、この戦記も終わる。多くの人命と費用をかけ、日米両軍ベストをつくした沖縄戦の様相を、まがりなりにも報道をすることに重大な責任を感じたが、さいわい、一回の支障もなく、完結できるよろこびに、まず、沖縄に眠... 2024.05.31 未分類
201-267 261村上友之助さん 苦しみ続けた20年 傷もいえずなくなる 戦記のはじまった四月上旬、小樽市○○もと山一二○七部隊軍曹の村上友之助さんから「あゝ沖縄に資料を提供したいが、沖縄戦でうけた左眼底の負傷が悪性のガンとなり、医者に頭へのぼると禁じられているので戦記を執筆できない。取材にきてほしい」 との手紙... 2024.05.31 201-267
201-267 260 千円銀貨 二児失った母が贈る 琉球議員の宮城さんへ 「沖縄に払った代価は高かった」と勝った米軍がその記録のなかでのべている。「沖縄における米軍の損害の総合計は今度の日本との戦争において、どの場合よりも多く、一番損害の多い戦闘であった」「勝利の代償が、こうも高かったのは予想よりもはるかに強大な... 2024.05.31 201-267
201-267 259牛島、長将軍の自決 東天を遥拝し切腹 米軍手りゅう弾の中で 米軍の記録から③ 六月二十日午後、米第三十二歩兵連隊は、摩文仁の第八十九高地(摩文仁岳)の東端を占領、九百七十七人の日本兵を捕虜にした。これは、太平洋戦争で、いまだかつて例をみない数であった。日本軍の損害は、六月のはじめまでは、一日平均一千... 2024.05.31 201-267
201-267 258バ中将の戦死 進撃状況の視察中 一発の砲弾に倒れる 米軍の記録から② 六月十八日午後、米第十軍司令官シモンボリバー バックナー中将は、島の南西端近くにある米第二マリン師団指揮下の第八マリン連隊の前線観測所(高嶺村真栄里)にやってきた。米第二マリン師団は、四月一日と四月十九日の陽動作戦をしただ... 2024.05.31 201-267