本道出身者の山兵団は十四の部隊で編成されていた。
▽山三四三〇部隊(満州では六三一部隊)師団司令部=師団長雨宮巽中将。
▽山三四七四部隊(八八部隊・歩兵第二十二連隊)吉田勝中佐
▽山三四七五部隊(八○三部隊・歩兵第三十二連隊)部隊長北郷格郎大佐
▽山三四七六部隊(七八〇部隊・歩兵第八九連隊)部隊長金山均大佐
▽山三四七七部隊(九三部隊・第二十四師団ガス制毒隊)部隊長五十嵐正次郎大尉
▽山三四七八部隊(二九七部隊・捜索第二十四連隊)部隊長才田勇太郎少佐
▽山三四八〇部隊(七九五部隊・野砲兵第四十二連隊)部隊長西沢勲大佐
▽山三四八一部隊(八三部隊・工兵第二十四連隊)部隊長児玉伸輝大佐
▽山三四八二部隊(七九五部隊・第二十四師団通信隊)部隊長保科大尉
▽山三四八三部隊(二七〇部隊・輜重兵第二十四連隊)部隊長中村卯之助大佐
▽山三四八四部隊(第二十四師団兵器勤務隊)部隊長小野芳樋少佐
▽山三四八六部隊(第一野戦病院)部隊長安井二郎少佐
▽山三四八七部隊(第二野戦病院)部隊長小池勇助少佐
▽山一二〇七部隊(第二十四師団防疫給水部)部隊長金井泰清少佐
満州国東安省にいたが、昭和十九年七月六日動員下令。山兵団を編成し朝鮮の釜山に集結、博多に渡り、八月一日門司から三十数隻の船団で出航、五日、沖縄に到着。
中頭(なかがみ)郡(沖縄中部地区)の読谷山(ヨンタンザ)にある北飛行場を中心に駐とんしたが、その移動の様子を、山三四七六部隊連隊砲中隊第一小隊第一分隊の満山凱丈上等兵(上士幌町字黒石平・電源開発十勝電力勤務)の手記は、次のように記録している。
暁空丸(七千トン)は門司港から南へ向かっている。行き先は秘密だ。駆逐艦が前になり、後になって護衛し、時どき上空を友軍機が飛ぶ。命令で救命胴衣は夜昼つけたまま。
兵隊は、撃沈された場合、漂流中の食料、飲み水として腰にカツオブシ、イリ米をいれた竹筒、フカよけの赤い布、五メートルくらいの細引きを、にぎやかにぶらされていた。
船倉はタナで何段にも仕切り、兵隊がびっしり。出入りはよつんばいだ。便所は船首と船尾。船の外へ、あゆみ板を出し、簡単にかこってある。またいではみるが、まっさおな海がムクムクと盛りあがってきて、しりをなめそうになる。あわててもちあげたとたん、まっ白いアワが沸きたち、しりに冷たいしぶきをかけて、ひいてゆく。かがめば、ふたたび海にねらわれ、とても、その気にはなれない。
船のなかで、黒﨑さん(上士幌の電気屋さん)にひょっこりあう。師団通信に召集され、すぐ下のタナにいるという。だが、みだりに甲板に出ることは厳禁だ。汗だらけのからだを、隣の戦友にくっつけ、横になっているよりしかたがない。
真夜中、ものすごい大音響にはね起きた。「ガガーン」魚雷命中?早く身じたくをしなければ、と、あわてる。思うようにならない。あせるばかりだ―。
そこへ連絡があった。船底に数隻の上陸用舟艇を積んでおり、その台の電柱が折れ、舟艇がひっくりかえった音だった。
翌二日朝、対潜水艦勤務についた。甲板にすえつけた連隊砲の砲側に集まったが、照準手の自分も、撃発の村上も弾丸こめの森も、みんな船酔いでフラフラ。砲にすがり、よりかかったままだ。いい天気だ。だが、波が荒い。船酔いの視線をこらすと、右手に小島が現われては消え、現れては消える。あとで知ったが。これが奄美大島だった。
五日目の朝、砲にもたれて、うとうとしていた。「島だ、島が見える」という声を耳にし、よろよろ立ち上がった。大きな島が近づいてくる。ヒレをピンと張った飛び魚が、しきりに、空を飛んでは海へもぐる。船と競争しているようだ。生き返ったような気持ちになった。
みどりの茂みのなかに赤いカワラ屋根、雑然とした那覇港のながめ、岸から一千メートルくらいのところに停船、命令で小舟に乗りうつり上陸した。那覇市内の天妃(てんひ)小学校に一泊。
翌日午後九時、砲、弾薬車はトラックで運び、背のうだけで行軍開始。夜じゅう行軍した朝九時ごろから夕方まで木陰で眠った。日没と同時に、また行軍。くたくたに疲れ東海岸の中頭郡天願(てんがん)小学校に到着した。
◇資料の提供をお願いします。
「七師団戦記あヽ沖縄」を完ぺきなものとするため、沖縄戦の記録をお持ちの方または体験された方、関係者をご存じの方は札幌市大通西四北海タイムス社戦記係(③0131)までご一報ください。
また沖縄戦没者アルバムを作成しますから、顔写真をお持ちの方は部隊名(連・中隊)階級氏名、遺族の住所氏名を明記してお送りください。
沖縄戦・きょうの暦
4月4日
第三十二軍は攻撃を中止、沈黙を守る。
四日から五日にかけ台風で米軍は陸揚げ作業を中止。
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