016魔の十三日 決死、最初の突撃 一六五高地の奪回へ

 第二中隊長宮崎中尉は、二個小隊をつれ、夜襲に出発した。この十二日の晩は、米軍が、いままでより一段とたくさんの照明弾を打ち揚げているような気がした。装具を陣地におき、手りゅう弾と銃剣だけの夜襲隊の出撃を、真昼のように明るい照明弾が照らし、見送る兵たちの胸に出陣する者の堅い決死の表情が、痛いほど刻み込まれた。

 攻撃は一応成功したが宮崎中尉は、ついに帰ってこなかった。戦死傷者が十人でた。

 この第二中隊の敵特火点攻撃につづき、第一中隊森曹長が二個分隊をつれ、宮崎中尉たちが確保した地点と、第一大隊主力陣地との間に、監視哨を確保、そのまま夜を明かした。

 十三日である。いよいよ、歩兵第二十二連隊が最初の突撃を試みる日。ふさだけ残った軍旗の名誉にかけても、一六五高地を奪回しなければならぬ―連隊全員が心に誓った。

 この軍旗は日露戦役以来、数度の外征に参加、沖縄戦のときは弾雨に焼かれ、ふさだけしか残っていなかったが、六月十八日、島尻郡宇江城(うえぐすく)の師団司令部で、天皇陛下万歳をとなえ、ガソリンをかけて焼いた。

 夜明けがた、幸地の連隊本部から吉田勝少佐が南上原にきた。夜襲指導のためだ。吉田少佐について、旧陸軍第七師団の会副会長染谷五郎氏=札幌市豊平三ノ四=は次のように語っている。

 余市生まれで仙台幼年学校にはいり、陸士第三十二期生。旭川の歩兵第二十八連隊出身。豪放らいらくのスポーツマンで、スキーがうまく、とくに剣道は七師団きっての達人だった。花形青年将校として上下の信望厚く、有為な人であった。遺家族は旭川におられるのではないかと思う。

 吉田連隊長がきたので、鶴谷大隊長は各中隊の小隊長以上を集合させた。山頂道路の横の掩蔽壕(えんぺいごう)に集まった一同に、連隊長は「大隊長の指揮する二個中隊および連隊砲中隊をもって、一六五高地を奪回、さらに前進して同高地北方地区を確保すべし」と命じた。この命令をうけ鶴谷大隊長は

「第一中隊第一線となり、一六五高地のアメリカ軍にたいし十三日二十二時を期して突入、同地区を確保。第三中隊は第二線に展開し、第一中隊一六五高地確保後、超越前進し、北方五百メートルの稜線まで進出、十四日以降の戦闘に備えよ。連隊砲は、現在地より二十一時五十分を期し十分間の突撃支援射撃を実施せよ」

 命令を受け第一、第三中隊は、十三日の昼間、それぞれの陣地で夜間攻撃の準備に没頭した。

 隊員のなかには、支那事変以来の古参兵もいた。二十二連隊は昭和十二年八月十三日、羅店鎮、嘉定攻撃。九月十三日、常熟で戦闘。いずれも戦死傷者を多く出した。みんな、そのことを思いだしていた。

「十三日という日は、うちの部隊の厄日(やくび)だぞ」

 ささやく者がいた。耳にした者は、いやなことを―と聞こえぬふりをした。

 各隊は午後七時三十分、行動開始。あいかわらずの照明弾。満月の夜より明るい。米軍は昨夜も今夜も、ことさら照明弾をたくさん使っているわけではなかった。前線では、常に惜しみなく照明弾を打ち揚げ、日本軍の奇襲攻撃に備えていた。それが、米軍との戦闘に不慣れな日本軍には、はじめ理解できなかったのである。

 あやしい赤い光りを引いて飛ぶえい光弾に、道産子の兵隊は変わった花火でも見るような視線を向けて前進した。たえまない砲弾の音が、空気をさく。重機関銃の火をふく音、祭ばやしの太鼓のような音は八連装迫撃砲。ズシーン、と地ひびきをたて、近くで六十センチ艦砲のサク裂。ヒュルヒュル…タッタッタッ…ズシーン…ビュッ、ビュッ…ヒュウン…ヒュウ…一発一発が、おそろしい破壊力をもち、死のうなりをたてている。

 銃剣で布をまき、地下タビをはいた兵隊が、足音もたてずに進む。二十一時三十分。各隊は予定どおり突入隊形を完了。地形が全然不明だ。照明弾が明るすぎる。隠密行動はかなり制限を受けた。二十一時五十分。連隊砲が予定どおり砲門を開いた。

 突撃拠点に待機中の第一中隊は、目標の山頂にむかい、ほふく前進を開始。目標を見つめる兵の目が、ほのおを発して燃えている。両ひじだけの力で、ジリジリ…ジリジリ…全身を引っぱりあげる。鈴木中隊長以下全員は、山頂を占領する―ただこの一事に、全身燃えていた。米軍は、日本軍の支援砲火にびっくりしたのか、一発も撃ってこない。鈴木中隊長の夜光時計の針が時を刻みつづける。

◇戦記係から

山三四七八部隊(二九七部隊・捜索第二十四連隊・部隊長才田勇太朗少佐)は、戦車に肉薄攻撃したので、生存者は、函館の松本上等兵しかいないのではないか―と三四七五部隊の樫木直吉氏(もと大尉)が申し出ていますが、この部隊の関係者は至急、係りあてご連絡ください。

 また、山三四八二部隊(七九五部隊・第二十四師団通信隊・部隊長保科大尉)山三四八一部隊(八三部隊・部隊長児玉昶光大佐)に所属しておられた方も、係りの資料が不じゅうぶんなので、ご連絡ください。

沖縄戦・きょうの暦

4月16日

 米軍伊江島上陸。第五回桜花隊、第七、八建武隊攻撃。(ともに特攻機)

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