020巨大な線香花火 火を吹く特攻機 敵艦、一斉に集中砲火

◇冨里日記つづき

 【四月七日】敵機の来襲は、一昨日以来だいぶ減ったと現地防衛隊員がいう。高度一千メートルの上空に二、三機だけだ。艦砲弾の落ちるのもかんまんになった。それでも終日、至近弾を撃ってくる。敵機からまる見えのこの山は、いつ艦砲の集中砲火を浴びるかわからない。大小便以外は、ゴウの外へ出る必要もないので、前後不覚、眠りをむさぼる。いくら寝ても眠い。きのうまでの疲れが、いっぺんに出たようだ。防衛隊の勇士たちも仕事はないらしく、グーグーいびきをかいて寝てばかりいる。

 下宿先の比嘉さんも隊員の一人。いかめしい軍服姿の比嘉さんと、ひさしぶりの対談、とてもうれしい。比嘉さんの刻みタバコの味もすてきだった。

 この冨里日記と同じ日付けの石兵団・志田手記(我謝・夫久両村付近守備)をのぞいてみよう。

 きょうも、あいかわらずの砲爆撃。夜になると、嘉手納湾付近の海上では、輸送船を数隻の戦艦がとりまいている。日本軍の特攻機に備えているらしい。

 この船団から、けたたましいサイレンがひびいた。午後九時各艦船の明りが一斉に消えた。サーチライトが三本、暗夜に交錯した。その頂点めがけ、他艦船から何本ものサーチライトが一斉に集まる。つづいて光の頂点に向かって、海上の艦船から一斉射撃。

 えい光弾が奔流のようだ。巨大な線香花火―。かすかに爆音が聞こえた。特攻機だ。スーッとサーチライトの光りの中へはいってゆく。火を吹き落ちて行ったのは、二十秒とたたなかった。かわいそうな特攻機…。

◇ふたたび冨里日記

 【四月八日】大詔奉戴日(太平洋戦争の起こった昭和十六年十二月八日を記念した日)の士気高い。別に変わったことはない。来襲機は昨日より多い。艦砲も激しい。日中、寝てすごす。ひさしぶりに銀めしでも食べてみようと、午後六時ごろゴウを出た。炊事場はゴウの入り口から十五メートルはなれた野外。砲弾が身辺でドカン・ドカン、サク裂するので飯たきは気味が悪い。火を大きく燃やし、早くたき終わりたいとあせるが、思うよう燃えてくれない。

 ついに落ちた。無意識で伏せた。土がドサ・ドサ…とからだに落ちる。たき上がっためしもそのまま、ゴウに逃げ込んだ。

 米俵のかげへ飛び込んだところで、頭がボウとなった。ゴウ内の洋ランプが一斉に消えた。第二弾がゴウ入り口でサク裂したのだ。

 耳はヒューファー・ヒューファーと悲鳴をあげて騒ぎつづけ胸は大きく脈うっている。天井から土が落ち、みんな、ひどい衝撃をうけている。負傷者はない。だが、見れば入り口にあった炊事道具はメチャメチャ、米俵はさけて真っ白い米が、入り口にいっぱい散らばっている。タマよけの用を果たしてくれたのだ。

 この山は敵の攻撃地点に選定されたようだ。夜どおし艦砲がつづく。七回、真上でサク裂。そのたびに洋ランプが消える。ともすたびに、みんなの服が土ほこりで白くなっている。ゴウもろとも押しつぶされているような不安で、だれも眠れない。夜じゅう、耳がガンガンなる。それでも儀間中隊長から日本軍の戦果発表を聞くと、ゴウ内は喜びの声でいっぱい。

◇志田手記

 【四月八日】午前九時三十分ごろ、中隊指揮班から松浦軍曹(幌内村出身)が連絡にきた。第十一大隊(大隊長三浦大佐)と第十三大隊(大隊長原大佐)が敵と交戦中だという。なお、今後、各中隊将兵は、夜間行動中に敵か味方か相手がはっきりしないときは「山」「川」の合いことばを使い、同士うちをしないようにとの大隊命令が出た。

 この日、第一小隊の石垣上等兵(北海道)は、連絡途中、迫撃砲弾で戦死したという情報がはいった。

◇冨里日記

 【四月九日】来襲機減る。艦砲も少ない。四、五日来、快晴つづき。観測機がおもしろそうに飛んでいる。

 麦飯が不慣れで下痢をする。便所通いがはげしい。便所はゴウ口とは反対の山裏。三メートルぐらいの深い穴に角材を渡し、用をたすところだけあけてある。カヤとススキだけの山なので、上空からはまる見え。いつ艦砲のえじきになるか。さがりかかったのが、腹の中へ逆戻りすることもたびたび。用を済ましても、またすぐ行かねばならぬ。そのたびに命がちぢまる。

 夜は西方海上でしきりに特攻機の攻撃。火柱が五、六本もたつ。目がしらが熱くなる。だれかが大声で叫んだ。「黙とう」…みんな深く頭をたれた。

沖縄戦・きょうの暦

4月20日

 米軍に、西海岸の牧港(まきなと)南方一キロの伊祖(いそ)高地を占領される。

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