山三四七四部隊の第三大隊をはなれ、部隊本部直属となっていた第十一中隊(長・木口恒好中尉)は、四月二十八日、第一線の翁長、幸地陣地へ出発することになった。この軍旗中隊は、いつも各中隊のうしろにおかれ、パッとしない存在だった。
すでに戦死者十数人をだし、中隊の兵力は百七十人くらい。これに他部隊から配属になった機関銃隊が約六十人。二百三十人の隊員は前進をつづけ、第一線陣地についた。
「ああ、あと三日のいのちだ」
兵隊間に、だれいうとなく、こんなことばがひろまった。あきらめに、決戦の意欲をまぜこねた感情をこめて―
長浜慶治上等兵(赤平市〇〇)も、胸のなかでつぶやき、実感をあじわってみた。捨て身の積極性をおぼえる。と同時に、日本の生活感情、日本の精神風土を感じた。日本人ではない、日本があった。
「あと三日・・・」
見なれている戦友たち―その顔が、どの顔も異邦人のように感じられる。切迫した、けわしい表情が刻まれていた。指揮班の土谷兵長が連絡にきた。―今夜八時、第十一中隊出発―という。
村上軍曹から、小銃の音をたてるな―と注意をうけ、第三中隊(長・川島中尉)の兵隊の道案内で前進した。川島中隊は、すでに、ほとんどの兵力を失い、木口中隊の前進と入れかわって、後退をはじめていた。
木口中隊は、くらやみのなかを前進した。途中にいる他部隊の兵から、いろいろ注意をうけた。通信隊の前では「走れ」工兵隊の前では「伏せて進め」
一歩一歩、緊張して進む。川島中隊の負傷兵が、続々さがってくる。軽傷者は、胸に、氏名と負傷箇所を書いた荷札をさげ、あえぎあえぎ歩いてくる。重傷者は戸板にのせられ、うなりつづけてゆく。なかには、木口中隊から、川島中隊に転属になった戦友たちもいる。前進中の兵は、悲痛の感に胸をしめつけられた。
十一時ごろ、目的の陣地につく。あたり一面、草も木もなく、焼けただれている。いかに川島中隊が激戦したか―なまなましく実感が迫ってくる。
長浜上等兵は腰をおろして一息いれた。目の前に、申しわけていどに土をかけられた戦死体が四つ。
〈だれが、死んだんだろう?〉
体格のいい戦死者の顔をのぞいた。
〈おう、頼か・・・〉
函館の北電に勤務していたという頼一等兵。木口隊から川島隊に転属になった彼だ。その広い胸のうえに、だれが置いたのか草花が一輪おいてある。
〈この焼け野原のどこからさがしてきたのだろう・・・〉
頼一等兵の戦死と、ここに花をささげた名も知らぬ人のゆかしい心とに、長浜上等兵は胸をつかれた。
長浜上等兵は緊張していた。最前線での第一夜、しかも、生まれてはじめての、そして、これが一生の終わりになるかもしれない夜だ。浜野上等兵が銃をにぎりしめて近づいてきた。彼は声を低くめ
「長浜、陣地の前に、人影が四つ見えるぞ。どうも、敵らしい。でかいやつが、ゆうゆうと歩いているんだ」
半信半疑でいる長浜上等兵の耳に、英語がひびいてきた。
〈敵兵肉薄?〉
ドキンと胸が鳴る。思わず銃を握りしめたとたん、すぐそばから小銃の発射音。
「ウワーッ」
敵兵の絶叫。撃ったのは小間正三上等兵(余市)一人が倒れ三人が、あわただしく逃げ出す。その背後から、長浜、浜野、小間の三人が、小銃を撃ちまくる。命中はしなかった。
倒れた敵兵のそばへより、身体検査をした。息たえた、その米兵は、なんの武装もしていなかった。
「きっと、戦死者か負傷兵をさがしにきて、道をまちがえたんだろう」
浜野上等兵の推定。それに答えて小間上等兵―
「ここは、きのうの戦闘で、日本軍を全滅させ、米軍の占領地域になっているとでも思ったんだろう」
真相は、二つの推定のうちにあるだろう―長沼上等兵は、そう思った。
ところが、この射撃が、日本軍がここにいることを、敵に知らせることになった。間もなく、敵陣地から猛攻撃がはじまった。瀬長二等兵(沖縄出身)が戦死するころ、夜がほのぼのと明けてきた。
付近には谷、丘、沢があり、約百二十メートル前方、友軍陣地を見渡せる位置に敵陣があった。
午前四時二十分ごろ(二十九日)木口中隊長は、戦闘開始のラッパを平野上等兵(岩内)に吹かせた。朝霧をついて、ラッパの音が高らかに鳴りわたる。そのラッパを、おわりまで吹かないうちに、平野上等兵に迫撃砲弾の破片が命中、重傷をうけて倒れた。
〈中隊一の美声の持ち主だったのに・・・よく、みんなにいいノドを聞かせてくれたのに・・・〉
沖縄戦・きょうの暦
6月19日
米歩兵第九十六師団イアスレー代将戦死。牛島中将、阿南陸相に決別の打電。島田知事、荒井警察部長消息不明となる。ひめゆり部隊解散。摩分仁の六十二師団、独混四十四の各司令部を中心とする集団と、その北方約三キロの真栄平の二十四師団司令部は完全に分断される。午前九時、ひめゆり部隊四十人戦死。
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