鈴木分隊は、夜明け方(四月三日)敵歩兵部隊の攻撃をうけた。重機関銃弾を十連(三百発)ほど撃ち終えたころ、くぼ地から敵戦車が十台ほど現われた。戦車砲弾が、至近距離でしきりにサク裂する。
鈴木分隊長は危険を感じ、後退を命じた。隊員は陣地から飛び出した。岡沢上等兵(上川郡清水町)は逃げる途中、迫撃砲弾で倒れた。
夜襲攻撃地点から四キロほどさがったところに大きな洞穴があった。踏み込んでみると、かびた米やミソがある。
さっそく、みんなで、めしたきをはじめた。穴から出る煙を見つけたのか兵隊が二人近づいてきた。二人は、大隊本部から出された斥候(せっこう)で、夜襲に出た鈴木分隊は全滅した―という情報が、本部にはいっているという。
鈴木分隊長は、あわてた。兵隊たちは、半煮えのめしを、飯ごうのまま背のうにいれ、中隊へいそいだ。本部斥候(せっこう)の話では、あす・四日は総攻撃を開始するという。
〈おくれたら大変だ〉
鈴木分隊長以下隊員は、ひたすら道をいそいだ。
前回に続く名簿(8)
佐藤信夫兵(留萌市〇〇父、鉄蔵、五月四日翁長北方高地で迫撃砲弾で戦死)佐藤勝二上(幕別町〇〇父、留五郎、小波津一本木付近で迫撃砲弾で戦死)佐藤太郎上(佐呂間町〇〇、父、感一、六月十五日八重瀬岳後退後不明)笹森健太郎上(釧路市〇〇生存)斉藤肇(札幌市豊平〇〇父、重吉、階級、生死不明)佐々木光雄一(岩内町〇〇父、熊吉、五月十三日六六八高地で爆撃のため生き埋め)佐藤定吉上(寿都町〇〇父、宇吉、七月二日ギ座岬でソ撃弾で戦死)佐藤馨上(阿寒町〇〇父、勇、生死未確認)坂本敏夫兵(紋別郡上湧別町〇〇父、辰吉、生死未確認)沢田久作軍(萌前郡初山別村〇〇父、弥一、生死未確認)佐々木音五郎上(東山町〇〇母、ハナ、六月二十日新垣)岸野一夫伍(遠軽町〇〇父、松太郎、六月十二日八重瀬岳北方台上で爆雷で戦死)菊地忠男上(中川郡豊頃村〇〇父、一郎、五月二日小波津北方台上で手〇〇りゆう弾で戦死)橘井庄上(音更町〇〇兄、一郎、五月四日小波津で戦死)岸上忠義=階級不明(大樹町〇〇父、勝治、五月四日運玉森で戦死)保坂孝利一(横浜市中区西〇〇叔父、松村喜代二、六月十日八重瀬岳後退後生死未確認)本城峰雄一(白糠郡音別町〇〇父、武雄、五月四日小波津で戦死)本田五郎一(大阪市天王寺区〇〇父、岩一、五月四日小波津で戦死)洞口惣重伍(紋別郡滝上町〇〇祖父、宇之助、五月四日呉座北側高地で戦死)徳地実伍(浦幌町〇〇生存)部田精一伍(河東郡音更町〇〇父、精太郎、生死未確認)土居勝一(高知市潮江塩尾崎町、兄、忠吉、生死未確認)当麻藤四郎一(奈良県高郡真管村〇〇妻、オトエ、生死未確認)沼田光治一(上川郡弟子屈町〇〇、父、正三郎、生死未確認)沼田米吉一(池田町〇〇父、酉蔵、五月四日翁長北方台上で迫撃砲弾のため戦死)岡沢好上(上川郡清水町〇〇父、初五郎、五月三日小波津台上で迫撃砲弾で戦死)
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