146荒れた首里 まるで活火山のよう 吹き上げる土砂、鉄片

 藤沢軍曹は、その後第二十四師団軍医部(山三四三○部隊)付きを命ぜられ、与座で勤務中米軍が上陸、部隊とともに津嘉山に転進した。

 艦砲、爆撃が一日ごとに激しくなる。津嘉山周辺は、ふきあげる土砂、鉄片で活火山のよう。きのうの地形は、もう、きょうの地形、姿ではなかった。

 四月下旬、師団長・雨宮巽中将の救護員として隋伴。津嘉山陣地から首里の第三十二軍司令部へ乗用車とトラックで疾走した。

 照明弾で全島内、夜昼の区別がつかないほど明るい。車はライトを使わない。デコボコ道を全速力で走る。艦砲弾のサク裂が車を追跡してくる。道路には大穴があり、時々、停車しなければならない。頭上でりゆう散弾、黄りん弾がサク裂。気が遠くなるようなひびきだ。負傷者が一人もでないのがふしぎなくらい。

 首里に到着。足の踏み場もないくらいに荒れはてた市内を一行は師団長を中央にして走りつづけた。

 軍司令部の入り口は深い斜坑であった。ひさしぶりの電灯。その光りをたよりに斜坑をおりる。ひときわ明るく、ひろいところに出た。軍司令部員の活気にみちた動きと音声―(これは、あとで気がついたことだが、日本軍の総攻撃に関する打ちあわせだったと思う―と藤沢軍曹は書いている)

 五月四日午前五時。

「軍医部員、目をさませッ!」

 藤沢軍曹は、ハッとして姿勢を正した。その頭上に軍医部長の声。

「いまから、約三十分後に、わが軍の総攻撃が開始される。この総攻撃は、わが軍の死活をかけた、いな、日本の運命をかけた一戦である。

 われわれ軍医部員としては、直接、戦闘に参加できないが、この反撃の成功を祈って黙とうを行なう。黙とうッ!」

 軍曹が、どうくつ陣地の入り口から出てみると、すでに津嘉山付近の砲兵陣地から、米軍占領地めがけ、号音をひびかせて巨弾が撃ちだされていた。

 総攻撃以後、負傷者が急増、島尻郡の各地に臨時野病が開設された。軍医部長からその視察を命ぜられた藤沢軍曹は、兵一人をつれ、大里部落経由新垣、真栄平、真壁の巡視に出発した。

 与座の司令部ごうを出発したのが午後七時ごろ。照明弾が二つ三つ。満月のようだ。艦砲弾もうなりつづけている。

 大里から与座岳へ登る。岩石の多い斜面で艦砲の至近弾が降りそそぐ。立ち往生だ。耳もさけるばかりにりゆう散弾、黄りん弾がサク裂する。落下する鉄片に鉄帽が肩より大きければいいのに―祈るような気持ち。

 午後十時ごろ、新垣到着。野病に行き、司令部からきたことを告げ、ごう内を案内してもらう。

 人工どうくつだが、広くて余裕があり”乾燥している。衛生材料の手持ちもあるようだ。収容されている負傷者は約百人。重傷者がすくなく、うめき声が聞こえない。おちついた、条件のいいところだ。だが、これ以上の収容は無理と判断した。(このどうくつは、山兵団玉砕の時、司令部の一部と歩兵、工兵の本部ならびに師団通信隊の最後の陣地となった。

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