191函館なまり 友の消息尋ね合う 同郷の二人、戦いさなか

 野戦病院を追いはらわれる。

〈今夜また、弾薬輸送をしなければならないのだ。きみたちを乗せていたのでは、それができない。任務のためだ、ゆるしてくれ・・・〉

 細田軍曹らは、松林にトラックをとめる。二十二くらいの負傷者をそこにおろす。

〈うらむなよ。これより方法がないのだ〉

 心を鬼にしてトラックをとばし基地へもどる。

 翌日もまた、野戦病院でことわられた負傷兵を松林におろす。

 そこには、すでに息絶えたもの、傷口に真っ白にウジをわかし、やっと息をしている者、水を求める叫び、痛さに泣く声―

〈かわいそうだが、やがておれ自身も、これと同じ運命におかれるのだ・・・〉

 細田軍曹は、なんら手当てをうけずに苦しみ叫ぶ負傷兵の姿に、あすのわが身を思い、手りゆう弾をにぎりしめた。

〈いよいよのときはこれだ。ひと思いに死ぬにかぎる・・・〉

 負傷したあとの破傷風、ガスエソで苦しみもだえながら死んでいく兵隊の姿をたくさん見ていた。その苦しみからのがれる手段として一発の手りゆう弾を、つねにからだからはなさなかった。

 ある夜、細田軍曹は赤玉のゴウで患者輸送の指揮を大声でとっていた。その時

「二七○部隊の細田軍曹はいないか?」

 片足の下士官に声をかけられた。

〈小原軍曹・・・奉天で対空無線の教育を一緒にうけた・・・〉

 小原軍曹は、捜索第二十四連隊・騎兵連隊所属で、山形県出身者だったが、悲しそうな声で「おれの部隊は、首里の前方戦線で、ほとんど全滅してしまった・・・」

 と涙をながした。

 現地徴用をうけた人夫たちが、ゴウから担架で負傷兵を運び、トラックにのせていた。雨のため地面がぬれていて一組の人夫がころんだ。大地になげだされた負傷兵が函館地方のアクセントで怒鳴った。

「このバカ野郎ッ、気をつけろ」

 細田軍曹は、その負傷兵になつかしさを感じ、声をかけた。

「きみは山部隊か?」

 負傷兵は徴用人夫に助けおこされながら

「そうだ。山三四七四だ」

「そうか。そんなら、函館の亀田町出身の湊寅雄伍長を知らないか?」

 軍曹は、函館消防署から出征した同僚の安否をたずねた。

「湊伍長は迫撃砲で戦死した。おれは森町出身の伊藤軍曹だが、きみも函館か?」

 同郷のふたりは、トラックが出発するまで、みじかい会話をかわした。後方の野戦病院の状況を知っている細田軍曹は、この伊藤軍曹もまた松林にすてられることを思い胸が痛んだ。

 ついに輜重部隊にも、前線出動の命令がくだった。前線の歩兵部隊が大損害をうけたのである。

 第一大隊(ばん馬)を主力とし、第二大隊(自動車)も、運転に必要な最小の人員をのこし、それ以外の全員を参加させよ―というのだ。

 極寒の満州で三年、沖縄に渡ってからは、生死をともにして戦いぬいてきた戦友たちと、いま別れることはつらかった。

「おそかれ、はやかれおれたちもゆく。さきに行っていてくれ・・・」

 軍曹は牧野政次郎兵長(函館)東正年兵長(留萌)らの手をにぎり、第一大隊へ送った。彼等は弁ガ岳で戦死した。

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