229雨 空腹、疲労で居眠り 小やみもない雨の中で

 全身に激烈なシヨック―頭から砂をあびる。強いサク裂音に耳も目もくらんだ。尻が痛い。もぎとられたような痛さ―。夢中で叫んだ。

「だいじようぶかッ!」

「ハーイ」

 元気のいい返事。―自分の負傷が気になった。「俺の尻はあるか?」

「なんともありません」

〈棒で思いきりなぐられたような痛さだ。たしかにやられたはずだが・・・〉

 佐藤上等兵は、おそるおそる自分の尻を、右手でなぜてみた。なまあたたかくヌルヌルしている。足を動かしてみた。自由に動く。

〈また、タマがくる。こうしてはおられない〉

「高安、行くぞ!」

 叫び、走り、つぎの穴へ飛びこむ。その間、ほんの二、三秒。穴のなかから、まえにいたあたりをふりかえった。三、四発のタマが、横にならんでサク裂。土煙りにおおわれた。

〈もう一足おくれたら・・・〉

 ほっとする、と同時に、尻の傷がズキズキ痛みだした。ふたたび走って本部ゴウへ飛びこむ。したへおり、衛生兵に見てもらう。

「破片がはいっている。傷口は小さい。いまは取り出せない」

 ヨーチンをぬってくれた。走ることはできる。ゴウの入り口へ行ってみた。テキ弾筒分隊が発射準備をし、号令を待っている。ゴウの上では、小隊長以下数人が小銃を撃ちまくっていた。テキ弾筒分隊の及川盛吉上等兵が、敵の位置を教えてくれ―という。正確につかんでいないのでことわり、小隊長らのいるところへのぼる。敵が小銃弾を撃ってきた。テキ弾筒分隊が射撃を開始した。敵の爆撃も迫撃砲弾もない。敵味方が、あまりにも接近しているからだろう。思いのままに戦闘、やがて敵兵は後退していった。

 夕方になっていた。美馬上等兵が顔に戦車砲の破片をうけ、声もだせない状態でやってきた。きようの戦闘で、また二、三人の兵力を失った。

 降りだした雨のなかでタコツボを掘る。

〈同情し、金までくれてやったあの女は、ほんとうにスパイだったのだろうか・・・〉

 エンピで土を掘る佐藤上等兵の胸の中に、泣きぬれていた女の姿がうかぶ。

〈高安は、沖縄の女性が、敵兵の先頭に立って日本軍の陣地を案内していたというが、同じ日本人がスパイをするものだろうか・・・。俺たちのいるところが、先に攻撃をうけなかったこともふしぎだ・・・〉

 実際を見ていない上等兵は、迷いつづけるだけだった。

 こまかい雨が、照明弾の光りをうけ、キラキラ輝いて音もなく地面に落ちる。くらい空から上品な絹糸が、際限もなく大地にたぐりよせられているようだ。遠く近く赤い光りをはなって敵弾がサク裂する。

〈戦死者たちの親子兄弟が流す涙のような雨だなあ・・・〉

 タコツボのなかには、もう、ひざのあたりまで雨水がたまっていた。腹がへっていた。全身ずぶぬれ。疲れがでて、いねむりをはじめる。寝小便をたれ、父にしかられて、ハッとする。夢だ。父は死んでいる。おとなになった自分は、いま戦場で敵に向きあっている。

〈北海道を出て四年か・・・一目でいいから、家族の者やみんなに会いたい。戦死を何度ものがれた俺も、いよいよ、この陣地が最後だ。だれにも知られず死んでゆくのか。さびしいものだなあ・・・〉

 雨は、こやみもなく降りつづいていた。

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