241敗走 〝連れて行ってくれ〟 泣き叫ぶ、歩けぬ負傷兵

 東風平の地下野戦病院へ、日を追って戦況悪化の情報がはいり、それを裏書きする負傷兵の搬入がつづいた。重傷者以外は、もう手当てができない。足をやられて動けない者は、大小便をたれ流しにしていた。

 食事も一日一回、ミカン大の握りめしが、夜明け前に一つ配給されるだけ。一口でたべてしまう。みんな空腹になやまされていた。

 満山上等兵は戦友の葛西上等兵に案内され、前線へ出動した彼の分隊のゴウから、魚のかん詰め一箱をかつぎだし、穴にかくしておいて、目の傷をかん詰めで冷やしたり、空腹を満したりしていたが、五月二十日ころ軍医から前線復帰を命令された。ビッコをひいていても、歩ける負傷兵は全員、第一線へもどり、戦闘することになったのである。

 病院ゴウを午後十時ころ出発した。さがしあてた連隊本部には、笠巻軍曹がいた。軍曹は、二十メートルくらいしか視力がきかないという満山上等兵に、別命あるまで、近江中隊の本部で待機せよ―と命令した。

 上等兵が中隊本部について四、五日すると、葛西上等兵も復帰してきた。ふたりは、二百メートルほどはなれた他中隊の医務室へ通い、県立第二高女生の看護婦たちから親切な手当てをうけていた。

 昼間は天地鳴動のすさまじさだが、夕方、敵機がひきあげるとウソのように静かな夜がおとずれる。夕涼みにゴウからでて見ると、北方の前線は、夜じゆう電灯に輝き、大都会のようだ。そこで血みどろの死闘を続けている戦友にひきかえ、安全な場所にいる自分を〈よかった・・・〉と感謝した。

 五月末から雨期にはいり、毎日、雨が降りつづく。真夜中。どしゃ降りの雨のなかを、近江中隊長以下指揮班二、三十人が、どやどやと帰ってきた。雨と泥でぐしよぬれ―難行軍に、全員疲れきっていた。

 中隊は、ここで各分隊の集結を待ち、新陣地へむかう―という。突然のことに、ビックリしていた満山、葛西ほか一人の負傷兵は、ゴウがせまい―との理由で、五百メートルほどはなれた他中隊のゴウへ移動させられた。

 二、三日して、満山上等兵ら三人が中隊へ呼びもどされたときは、中隊は、新陣地で戦うため南下した―とのことで、中隊を追ってきた十数人の負傷兵が残っていた。彼らは、前線の動けない重傷者には、カンパン一袋と手りゆう弾を置いてきた―といい、南下した中隊からの迎えを待っていた。

 地方人も続々と避難してきた。付近一帯のゴウは、彼らで満員。敵軍が接近し、山のかげに照明弾が輝き、機銃の鋭い音が断続してひびきはじめた。

 中隊が南下して五日後、雨の降る夜道を光岡上等兵が負傷兵一行を迎えにきた。日本軍は首里から与座まで後退した―という。敵砲弾のなかを、満山上等兵は前の者につえを引いてもらって歩きだした。足のぬかる泥田のような道をすぎ、東風平街道にでた。そこもまた、退却するおびただしい車両と避難民、兵隊に踏みあらされ、一面のぬかるみだった。道ばたに、兵隊や地方人の死体が無数にちらばっている。泥のなかに腰を落とした負傷兵が叫けぶ。倒れた者が泣き叫けぶ。野病が閉鎖し、追い出された兵隊たちだ。

「オーイ・・・連れて行ってくれ・・・」

「助けてくれ・・・たのむから手をひいてくれ・・・」

 牽引車(けんいん車)が、敵のレーダーに追われているのだろう。エンジンの音をひびかせ野砲を引いて無灯火で後退してきた。車にも砲にも、兵隊が鈴なりになってしがみついている。路上に倒れて叫けぶ兵隊たちが、車輪に踏まれてゆく・・・

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