002米軍の沖縄作戦 台湾の孤立狙う 練りに練った上陸作戦

 米軍の太平洋作戦の最終的なねらいは、東京から下関にかけての重工業地帯を、破壊することであった。進攻コースは二つ。一つは中央太平洋の島づたい作戦。もうひとつは、南西太平洋を北上する経路。米軍では二十年春に台湾を占領する作戦を進めていた。ところが十九年十月三日、米統合参謀本部は、二十年三月一日までに琉球列島中の島を一つ、あるいはそれ以上を占領するよう米太平洋艦隊司令長官ニミッツ大将に命令した。沖縄を占領すれば、日本軍の南方への輸送路が断ち切られ、沖縄を基地として東京攻撃も可能だし、台湾は孤立する―と判断したからだ。

 米軍は沖縄関係の情報、資料集めに力を注いだ。地図は、空襲のたびに何枚となく航空写真をとって作り、もと琉球の住人、捕虜、文書などをもとに、十九年十月、日本軍の沖縄守備兵力を四万八千六百人、歩兵二個師団、戦車一連隊と推定。さらに二十年一月には五万五千。同三月には二十六個歩兵大隊をふくめ、次のとおりと推定した。

▽第三十二軍司令部六百二十五人▽第二十四師団(山兵団・北海道出身者)一万五千―一万七千人▽第六十二師団(石兵団)一万一千五百人▽第四十四混成旅団(球兵団)六千人▽独立混成一個連隊二千五百人▽戦車一個連隊七百五十人▽野戦重砲兵二個大隊、野砲兵二個大隊、対戦車一個中隊、対戦軍砲三個中隊、高射砲中隊=計五千八百七十五人

▽航空地上部隊三千五百人▽設営隊五千―六千人▽海軍地上部隊三千人▽陸海軍総計五万三千―五万六千人(上陸前には六万五千人と推定)

 この構成表から日本軍の装備も割りだされた。七十ミリ砲百九十八門。百五十ミリ曲射砲二十四門をふくむ大口径砲若干。三十七ミリ、四十七ミリ対戦車砲百門。軽戦車三十七台。中型戦車四十七台。このほか情報で二百五十ミリロケット砲、臼(きゅう)砲も装備していると推定した。

 使える飛行場は北、中、那覇牧港(まきなと)の四カ所。さらに、沖縄北部と伊江島に歩兵大隊が五ないし六。南部には二個師団。読谷飛行場東方二マイルの地点と、首里南方三マイルに砲兵隊がそれぞれ集結していることなどを空中写真から判読した。

 米軍は沖縄作戦を「アイスバーグ作戦」と呼び、作戦を三段階に分けた。第一は沖縄本島付近の神山島と慶良間(けらま)列島内に、沖縄南部攻撃の基地を建設する。第二は、伊江島を確保し、北部を制圧する。第三は、沖縄作戦に備え、南西諸島に、もっと島を占領することであった。また台湾、九州の日本軍航空基地を使用不能にし、沖縄の制空権を保持するというもの。

この沖縄進攻にあたり、東は米西海岸、西はウルシイ、南はニュージーランド、北はアリューシャンにいたる全米軍が、それぞれの立ち場で、任務を遂行するよう命令され、沖縄攻撃の主要任務は、スプルアンス海軍中将指揮の陸海合同大機動部隊に下った。

 この部隊はス中将が司令長官をつとめる第五十機動部隊とターナー海軍中将指揮の第五十一機動部隊で編成され、沖縄上陸部隊の陸軍第十軍(司令官サイモン・ボリバー・バックナー陸軍中将)は、ターナー中将のもとで、第五十六機動部隊の指揮をとることになった。

 バックナー中将は、十九年九月、アラスカ軍司令官から第十軍司令官に任命され、その構成部隊員も、ガダルカナル、ダラワ、サイパン、レイテ、テニアンなど歴戦の精鋭部隊であった。

 動員兵力は十八万三千人、そのうち十五万四千人がバ中将指揮下の七個師団として編成され、四月一日の最初の上陸作戦に、五個師団十一万六千人が参加した。なお、米第一海兵師団戦闘記録によると、沖縄進攻作戦に直接間接に参加した全兵力は五十四万一千八百六十六人。艦船は高速空母機動部隊を除き一千二百十二隻と記録されている。

 陸、海、空三軍の統合作戦会議が開かれ、輸送補給、戦略問題が討議された。作戦は、ねりにねられ、三月一日の上陸開始日には四月一日に延期、上陸一週間前から艦砲射撃を行ない、上陸日は、午前六時から海岸に集中砲火を浴びせる。さらに、上陸に先だち海軍基地建設のため、慶良間列島、神山島を占領、神山島には、百五十ミリ砲を備えて上陸支援射撃をする。また沖縄人のために軍政をしくことが考えられ、米、大豆、魚のカン詰め類など七万人分の食糧と医薬品を持ってゆくことになった。上陸部隊には、新兵器が支給された。射程も火力も強い火炎砲戦車。暗夜に赤外線利用でねらい撃ちできるスニッパースコープ、照明弾スヌーパースコープ、時限爆弾、臼(きゅう)砲探知器などであった。

◇資料の提供をお願いします。

 「七師団戦記あヽ沖縄」を完璧なものとするため、沖縄戦の記録をお持ちの方または体験された方、関係者をご存じの方は札幌市大通り西四北海タイムス社戦記係(③0131)までご一報ください。また沖縄戦没者アルバムを作成しますから、顔写真をお持ちの方は部隊名(連・中隊)階級氏名、遺族の住所氏名を明記してお送りください。

沖縄戦・きょうの暦

4月2日

 日本軍第八飛行師団の特攻機四十機、爆撃機十九機、誘導機二十機が一日、二日にわたり嘉手納沖の米艦船七隻を撃破。陸上では、コザ南部と桃原(とうはら)で戦闘。

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