043石兵団の切り込み② なるようになれ 痛む傷口消えゆく記憶

 小隊長・奥原准尉が駆け寄ってきた。

「軽機は一丁だけか?よし、お前たちは、ナマコ山の左側面へまわれ。おれと藤田(伝令)と斎藤(てき弾筒手)の三人は途中で倒れた堀口(上等兵)の軽機で、敵の正面から切り込む。合図は、てき弾筒を三発撃つから、打ち終わったら切り込め」

 志田上等兵らは、クボ地づたいにナマコ山の横へあがった。前方を見た、なるほどトーチカが二つある。その間隔は五十メートルとは離れていない。

 志田上等兵と横田一等兵は、准尉にいわれたとおり、てき弾筒の発射音を待った。トーチカの手前から米兵が三人出てきた。なにか話をしている。グーッと、撃ちたい気持ちがたかまる。それを押えながら、待ち続ける。合図がない。米兵はトーチカのなかへはいって行く。奥原准尉は、どうしたのだろう? 横の方からだれかやってきた。意外なことに奥原准尉と藤田、斎藤だ。

「軽機は持ってきたが、正面から切り込むのはムリだ。ここから切り込む。いま、トーチカにてき弾筒を三発撃ち込むから、撃ち終わると同時に、軽機で援護射撃をしてくれ」

 奥原准尉は、こういって、後方からてき弾筒を発射した。一発・・・二発・・・トーチカからも撃ち出した。そのえい光弾の光りを目標に、志田上等兵は軽機を構えた。別の軽機は中田伍長が持った。

 てき弾筒の三発目と同時に志田上等兵が軽機の撃鉄をひいた。抜刀した奥原准尉は、小声で「突っ込め!」と叫び、走り出していった。みんなが、そのあとに続いた。

「軽機前へッ」

 奥原准尉の声に、志田上等兵は、軽機に弾丸をこめ、正面のトーチカに向かった。奥原准尉は、別のトーチカめざして走っていく。そのトーチカの右横四、五十メートルの地点から、敵の機関銃三丁が、走ってゆく奥原准尉たち三人に一斉に射撃を浴びせた。三人が将棋倒しに倒れる。

 志田上等兵は、横のガケに身をかくし、敵の重機を射撃した。重機は銃口を、志田上等兵のいる方に向けた。敵のえい光弾が顔のそばを飛び去る。暖かいような感じがする。よく当たらないものだ―と思った瞬間、左肩にジューとあつさを感じた。丸太ン棒でなぐられたような衝撃―ガケ下へころげ落ちた。背中が、火がついたように、ほとる。弾丸は肩から背中へ抜けたらしい。突如上の方から、苦しげな絶叫が聞こえた。

「やられたッ、腹をやられたッ!」

 第一分隊の弾薬手広田一等兵の声。志田上等兵は、横にだれかいるような気配を感じ、ふり向いた。横田上等兵だ。

「どうしたッ?」

「・・・」

 なにかいっているがよく聞きとれない。そばへはって行った。敵弾に、のどぼとけを吹き飛ばされ、のどのくだが見える。横田上等兵は急造爆雷を背負ったままだ。

「急造爆雷をおろせ。それは武器でないから捨ててもいいんだ」

 志田上等兵は、横田上等兵をすこしでも楽にしてやろうと思った。

「いいんです。・・だいじょうぶです・・・」

 横田は、かすかな声でいい、爆雷をおろさない。ビッコをひいて中田伍長が近寄ってきた。

「左の大腿部をやられたが、大したことはない」

 という。志田上等兵は、横田と自分の傷の手当てを中田伍長にたのんだ。手当てといっても仮包帯でしばるていどだ。

 三人とも負傷している。切り込みは、うまく行くとは思えない。ひとまず、中隊長にこの結果を報告しようということになった。

 志田上等兵は置きっぱなしの軽機をとりにガケをのぼった。星明りのもとに軽機がある。あたりは、さきほどの激戦があったとは思えないほど静まりかえっている。出血のためか頭が痛い。軽機を、小わきにかかえて、ガケをおりた。

 中田伍長、横田上等兵、志田上等兵の三人は中隊へ帰る小道をさがし、はうようにして帰路をたどっていた。

 志田上等兵は軽機をかかえている腕がだるく何度も、地面に置いては、かかえなおして歩いた。

 前方で、破れ太鼓を、つづけざまにたたくような音がした。軽迫撃砲弾の弾着―。横に約二メートル間隔で三十発ぐらい落下するとつづいて、背後に弾着する爆発音がひびいてきた。

 三人は夢中になって走った。志田上等兵は頭の痛みにたえきれなくなって倒れた。土砂が、からだを埋めるように落ちてくる。眠くなり、からだを動かしたくない。背中がやけるように痛む。その痛みが、だんだん遠くへ去ってゆくようだ。また、やられたか―あとはどうなってもいいと思った。志田上等兵はひきずりこまれるような眠気におそわれ、外界のことは、いっさいわからなくなった。

戦記係から

五月十一日付け和田勢三氏の手記について、阿部幸市氏(札幌北〇〇)から次の連絡がありました。

 石川政義獣医務伍長、通信手西岡吉弥兵長、若林博兵長、伊久留正之上等兵は、いずれも昭和十六年三月、初年兵として野砲兵第四十二連隊(満州七九五部隊)観測中隊に入隊し、私(阿部)が教育にあたりました。往時をしのび、万感胸に迫るものがあります。入隊記念の写真を保存してありますので、ご遺族の方は、ご連絡ください。拡大してさし上げます。なお、能登健三中尉、黒田二郎中尉についても思い出がありますので、ご遺族の方はご連絡ください。

沖縄戦・きょうの暦

5月14日

米軍、那覇、安里の一角に突入。首里、末吉付近にも米軍進出。

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