第二歩兵砲小隊は、首里後方山城部落に待機していた。そこへ命令を伝えることになった。
「四月二十九日、山兵団は総攻撃を開始する」
伝令は、谷藤軍曹、撫養兵長、千葉上等兵。弾雨をくぐり、砲弾の穴を飛び越え、三人は走った。日原小隊長、戦友たちがえ顔で、迎えてくれた。「砲弾のなかを、よくきてくれた。さあいよいよ行くか」小隊長全員、出撃の決意に燃え、前進を開始した。
歩兵砲小隊の前方を連隊砲小隊が首里へ向かっていた。この小隊の一個分隊(長・谷内軍曹納内町出身)は、首里平町のまえで、運悪く艦砲弾の直撃をうけ多数の戦死者を出した。谷藤軍曹、撫養兵長ほか一人は、平町につくとすぐ、日原小隊長から大隊本部の所在をたしかめる偵察斥候(せっこう)を命ぜられた。
夜になっていた。三人は平町を出発、北方に進み、小高い丘の上にでた。伏せて様子を見る。二千メートルほど前方が第一線らしい。彼我の機関銃音が、ひっきりなしに聞こえる。銃火が見える。米軍の機関銃の音は、ダン、ダン、ダン・・・日本軍のはドウ、ドウ、ドウ・・・音が違うのですぐわかる。
三人の前には、迫撃砲弾が集中して火柱をあげている。この迫撃砲の火線をなんとかして突破しなければ、偵察行はできない。気はせくが、一歩も進めない。三人はじっと、弾着の状態を見ていた。一度に四十発くらい落下する。つぎの弾丸が落ちるまでに一分間くらい間がある。三人は、弾丸が落ち、火柱が立っているあいだに、火線を突破すれば通り抜けれると判断した。
身軽になったほうがいい。各自が、背負い袋をすてた。スタートの姿勢をとる。ダダン、ダダン、ダダン・・・迫撃砲弾の弾着。目の前が真ッ赤になる。
「行くぞッ!」
軍曹の声。夢中で走り、火線を突破、三十メートルくらい走って伏せた。とたんに、後方にサク裂音。振りむくと火柱が、さかんに上がっていた。助かった―三人は顔を見合わせ、生つばをのみこんだ。
志村大隊の和田重機関銃中隊の矢三軍曹(納内町出身)が一個分隊をつれて、走ってきた。
「撫養か、元気でやれよ」
「班長殿、気をつけてください」
同郷の二人は、ことばみじかく、力のこもったあいさつをかわして別れた。矢三軍曹は、その後戦死した。艦砲弾が、ひっきりなしに頭上を飛んでいる。道路上を進むことは危険だ。三人は畑の中を走る。土は雨でぬれ、くつにつく。足が重い。すべる。走ってもスピードがでない。敵砲弾の弾着はきわめて身近だ。切迫した前線。一瞬一瞬の時の流れが、死でふくらんでいる。
ジヤー。至近砲弾音。
〈近い―〉三人とも、バネではじかれたように伏せた。顔を土中に突っ込む。同時にゴッーン・・・二メートルほど前方から、砲弾の落下した重い、にぶい振動音が伝わってくる。三人は声もない。背中に土砂が降ってくる。爆発を待った。土砂が背中に重い。息をのんだ数十秒が経過する。
「不発かな?」
谷藤軍曹の声。爆発しない無気味な時間。そして砲弾。
「立つな。もう少し待て。爆発するかもしれんぞ」
軍曹の絶叫。恐怖の数分が刻まれる。爆発しない。
「だいじようぶだ。不発だ」
三人は立ち上がり、おそるおそる砲弾のそばへ歩みよった。十五センチ砲弾が、やわらかい土にめりこんでいる。
「やれやれ、これで二度目の命びろいか。アメちやんの深刻なご親切には、心から感謝するぜ」
皮肉に笑う谷藤軍曹。三人はふたたび、畑の中を前進したが大隊本部の方向がわからなくなった。軍曹の決断で、第一線をめざし、ななめに進む。百メートルほど前進したところで、和田重機関銃中隊の倉内兵長(納内町出身)に出会った。
谷藤軍曹は、付近の状況をたずねた。倉内兵長は、地形偵察の帰りみちだった。前方百メートルに友軍の地雷原があるということを倉内兵長が教えてくれた。軍曹ら三人が、ここで兵長に出会わなかったら、自爆していただろう。
三人は地雷原をさけ、経塚部落を目標に、まっすぐ進んだ。夜が明けかけてきた。薄明りのもとに、なまなましい戦場がうかびあがってくる。経塚は、すぐそばだが、三人は前進をやめ、付近のごうにはいった。
ごう内に、志村大隊第七中隊の兵隊が六人いた。そこへ、血だらけの沖縄出身兵がはいってきた。肩に負傷しているが元気だ。彼の説明によると、昨夜、第七中隊は切り込み戦をやり、中隊長以下大半が戦死、彼は、前田村の仲間小学校へ行ってきたところだという。
なお、経塚には、日中は敵戦車がくると教えてくれた。ごうの入り口から経塚方面を見ると、なるほど敵の砲撃がものすごい土煙で、部落がよく見えないほどだ。
沖縄戦・きょうの暦
5月31日
首里を占領した米軍南下を準備。
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