佐藤分隊長が身のちぢむ恐怖にかられているとき、運よく移動命令が出た。斜面からヤミのなかを二、三メートル前進。丘のふもとについて、分隊員は各自でタコツボを掘り、身をかくした。一帯はせまいクボ地。タコツボ間の距離は、せいぜい五、六十センチしかなかった。丘のふもとは、タコツボでいっぱいだ。この丘の左側のクボ地は畑であった。佐藤岩雄上等兵に急造爆雷をもたせ、戦車特攻の任務を与えて配置した。
佐藤分隊長は、機関銃手中山徳三郎一等兵と、弾薬手奥原一等兵を、左側の台地に九メートルほどはなして配置し、敵の襲撃にそなえた。佐藤分隊には軽機が二台あった。中山と奥原が湊川方面に分遣中、他隊のものを盗んできたのだ。武器不足の分隊では、軽機を二台持っていることが心強かった。
三十分ほどすると、奥原弾薬手が負傷して、分隊の位置へ帰ってきた。中山機関銃手が行くえ不明になった―という。佐藤上等兵は二人の守備位置へ行って見た。軽機の床尾板(しようびはん、銃の尾部)が残っているだけで、中山一等兵の姿がない。(直撃弾をうけたな―)佐藤分隊長は状況を読みとったが、何一つかくれる物のない場所へ、二人を配置した自分の考えの浅さがうらめしかった。(せめて、中山一等兵の肉の切れはしでも落ちていないか―)地面をはいまわり、手さぐりして、しきり捜しまわったが、遂に何一つ発見することはできなかった。負傷した奥原弾薬手は病院へ後退させた。
(大事な軽機を失い、そのうえ犠牲者を二人出してしまった―)分隊長は、深く自責の念にかられた。
夜が明けた。毎日のことだが、夜明けとともに、あたりは、急にそうぞうしくなってきた。戦車のキヤタピラの音が、遠くから聞こえてきた。最前線だから、砲撃や爆撃はない。そのかわり、すぐ敵兵が姿を現わす。前に出してある監視兵からの伝言がきた。
「前方おう地に、戦車二台が出現」(いよいよきたか、今度はおれたちの番だ―)佐藤分隊長は、身のひきしまるのを感じた。畑の中には、戦車特攻の佐藤岩雄上等兵を配置してある。
(戦車が、あそこまでくれば、きっとやられる―)分隊長は自信をもっていた。
戦車砲のかたい音がする。松の木の小枝がふるえる。その有様を佐藤分隊長はタコツボの中から見上げていた。松の木に戦車機銃弾があたり、小枝がふっ飛ぶ。見る見るうちに枝はなくなり、木は一本の棒になった。ふたたび伝言。
「戦車のうしろから、黒んぼの兵隊が現われた」
佐藤分隊長は、気が気でなかった。じっとしていれなくなって、敵状の見えるところまで、はって出た。
くぼ地一面は畑で、ところどころにキヤベツがはえている。その三百メートルほど先に、大きな戦車の上部だけが見えた。黒人兵は、この戦車よりも二百メートル前、佐藤分隊長の位置からは百メートルぐらいさきの稜線にいた。
黒い顔だ。鉄帽のほうが白く見えるくらいだ。素はだに薄い軍服一枚きりの身軽な姿。胸のあたりが重量あげの選手のように盛りあがり、黒光りしている。見るからに強そうだ。
佐藤分隊長は、生まれてはじめて見る大きな、黒い黒人兵を見て、
(これは大変なやつがきたもんだ―)と思った。黒人兵は、前にはえていたキヤベツを一つもぎとると、サッと姿をかくした。
しばらくすると、別の黒人兵が一メートルほどはなれたところからチヨコンと黒い顔を出した。あたりを、キヨロ、キヨロ見まわし、キヤベツをとると、すばやく姿をかくす。そのかっこうが、実にひようきんで、ウサギが食物を取る姿とまったく同じだ。彼等もタコツボの中にはいっているらしく、キヤベツの葉を二、三枚ポンポンと地の下から地面へほうりなげた。
(黒ん坊のやつ、腹をすかして、キヤベツを食べているな。こんなやつ等なら大じようぶだ)
佐藤分隊長は、黒人兵の性根を見定め、安心してタコツボへ戻った。
その後、情報は、いろいろ伝わってきたが、米軍が前進してくる気配は全然なかった。
夕方近くなって、佐藤岩雄上等兵戦死の報が佐藤分隊長のもとへ伝わってきた。
(さきには、中山一等兵、いままた一人・・・)からだの力がぬけていくようだ。
(一緒に召集され、ずうっと親密だった佐藤岩雄。小波津戦線では中島分隊長と切り込みに行き、無事に戻ってきた彼)分隊長には佐藤上等兵の戦死が残念だった。
=佐藤上等兵が、戦車出現を隣の戦友に知らせようとして隣のタコツボに飛び込んだ瞬間戦車砲弾の直撃をうけ、両足だけを残して飛び散った―ということを、佐藤武夫分隊長が知ったのは、数時間後だった=
沖縄戦・きょうの暦
6月4日
米軍、小禄南東方に上陸。台風により米艦三十六隻損害をうける。
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