099特攻機の体当たり 舞い上がる火柱 米重巡、一瞬に消ゆ

 なんとも、いいようのない、たまらない気持ち―張りつめていた緊張感が、不発のまましぼんでゆく。いやな感じだ。海上の小舟(米軍の上陸用舟艇)は消えてしまった。

 栗山兵長が、米軍上陸を耳にしたのは、それから二日後の四月一日だった。石兵団が戦闘しているとのことで、毎夜、戦況が伝えられた。しかし、栗山兵長らには出動の命令がなく、摩文仁陣地の守備についていた。

 海上には、夜昼なしに米艦船が浮かんでいる。日本軍の特攻機は、毎夜、この艦船群に攻撃をかけた。沖縄上空にくるまでに撃墜されるのだろう、五機、三機と、その数はすくなかった。

 栗山兵長は、ある夜、十時ころ、六機の友軍機が飛来したのを見た。六機とも、米艦船からあがる何十本ものサーチライトにとらえられている。一機がキリモミ状態で、東北方の知念半島に墜落したようだった。火柱はあがらない。

「やられたな?」

 いっしよに見ていた戦友のだれかが叫んだ。栗山兵長も、ため息をつき、暗い気持ちになった。みんなガッカリしているとき、知念半島のさきの海面スレスレに、一機の飛行機が米艦船に向かっているのを見つけた。

「おお、さっきのやつだ!」

〈キリモミ状態で落下―とは、敵をあざむくためだったのか―〉

 氏名も出身地もわからない、その特別攻撃隊員の闘魂が、いっさいのカベをつきやぶって、見ている道産子の胸に迫る。次の瞬間、その特攻機は米重巡洋艦に体当たりした。

「やったア!」

 高くあがる火ばしら、水ばしら、誠実の血しぶきのように赤い火のいろが、栗山兵長の胸をなぐりつけた。

 強いシヨックをうけた胸の鼓動がおさまったころ、重巡の姿は、もう海上になかった。

「黙とうッ!」

 第一小隊長・丸子清雄中尉が叫んだ。

 栗山兵長は、その夜、東北方の中城湾でも、南西方の糸満沖でも、天高く火ばしらのあがったのを見た。

〈残りの五機が体当たりしたんだ。俺たちも特攻隊員に負けないぞ〉

 と決心を固めた。次の日の朝、監視兵が

「海岸に、いろんなものが寄っているぞ」

 という。栗山兵長ら数人は、海空の敵に発見されないよう、夜になるのをまち、用心しながら摩文仁海岸へくだった。

 米軍兵士の死体が五、六体、ほかに木箱やアルミニウム張りの箱が数個、波のなかにただよっていた。昨夜、特攻機に撃沈された米艦船の漂流物だった。

 米兵の死体は一カ所に集めて埋葬した。箱のなかには、米軍の食糧や衣類がはいっていたので、これを、第二中隊(長・甘利栄司中尉)の炊事場のごうに運び込み、他日のために保管した。

 なお、余談になるが、この炊事場のごうを、終戦後、栗山兵長が機会をえておとずれた。洞穴内に一歩、足を踏みいれると、日本軍の兵士、地方人の死体が二百以上もあって、鬼気迫る感をおぼえたという。

 また、この洞穴のすぐ近くの洞穴に、山三四七四部隊第二大隊(平野大隊)指揮班の菖蒲(あやめ)正美伍長(三石郡三石町本桐、生還)が、二十年七月中旬ころまでひそんでいた。菖蒲さんはこの炊事場のごうの凄惨さを目撃しており、七日来社して、その状況を記者に語っていた。このごうのことを戦記に記録するのはもっとあとになる。

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