104出撃の宴 二人に一合の酒 死出の行軍の前に

 満山凱丈兵長(上士幌町〇〇)=山三四七六部隊(長・金山均大佐)第一大隊(長・丸地軍次大尉)連隊砲中隊(長・近江栄一中尉・函館出身=二十年六月十五日、与座岳までは健在、以後戦死と推定される)第一小隊(長・高見沢少尉・東京出身)第一分隊(長・久米千鶴夫伍長・佐呂間出身=二十年四月三十日、運玉森で迫撃砲弾をうけ戦死)が、出動命令をうけたのは四月二十六日夜。めざす戦場は、首里北方の中部戦線。苦闘する戦友たちを救う―意欲と闘魂に島尻郡仲座の陣中は燃えあがった。

 小銃隊とは違い、馬なしの馬部隊は移動が大変である。火砲はじめ弾薬、器材、食糧みんな人力で搬送しなければならなくなった。よけいなものは残したが、それにしても相当な荷物。

「よしッ、俺にまかせろ!」

 男気にかけては、江戸ッ子にひけをとらない道産子。なかでも、連隊一からだが大きく、イキのいい大塚福芳一等兵(小清水出身、二十年六月二十日与座戦闘指令所で戦死)が、サッと外へ飛び出していった。

(まかせろといったって、馬なみの力持ちでもあるまいし、古年兵殿、いったい、どうするつもりだろう?)

 満山兵長は心配だった。ほかの兵たちは、そんなことは気にもとめず、一カ月近くも待たされ、退屈しきってもいたから、出発準備に気合いをかけていた。

 二、三時間たったころ、大塚古年兵殿が、馬を二頭と馬車を一台もってきた。砲撃や空爆でこれだけやられた現在、よくもやったもんだと、みんなあきれるやら、よろこぶやら。

「貴様、どこからひっぱってきた?要領のいいやつだ」

 馬や馬車はよその中隊でも、血まなこで捜していただろうに「西部戦線異状なし」のカチンスキーにおとらぬ部下をもった久米分隊長はニコニコしていた。

 一頭には弾薬車をひかせ、馬車には食糧、資材をつみ、火砲は兵隊が交代で引くよう準備が終わったのは、夜明けちかいころだった。

 部隊本部から、出陣祝いの酒サカナの配給。パイナップルのカン詰が五人に一個、スルメが三人に一枚。酒が二人に一合。これが、今生の別れの宴になるとは、つゆしらず、道産子たちは、それぞれ得意の余興を披露、陽気な笑い声が洞穴のそとまで流れていた。酒宴は、そとが明るくなるころまでつづき着のみきのまま、いつものようにその場でごろ寝した。

 四月二十七日日没ごろ、米軍機の引きあげるのを待って、部隊は行動にうつり、タバコも禁止の灯火厳禁のうちに、決定時間どおり、出発順序どおりに前進を開始した。

 湊川街道は、まっくら。兵隊であふれている。器材のふれあう音、人馬のざわめき、押し殺したささやき―切迫した緊張感燃え上がる闘魂のウズ、夜気さえ熱をおびて膨張するかのよう。

 はるか上空を、幾スジもの火の線をひき、海上から撃ちまくる敵砲弾が飛び、部隊のめざす黒い山かげに吸い込まれる。隊列は戦場めざし北上を続けた。

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