132故郷を思う 夢でわが家へ帰った 死を予期する兵たち

 戦死者で、死ぬ前に故郷の夢をみた―といっていたのは、相馬兵長ひとりではない。佐藤軍曹(小樽市〇〇)と後藤伍長(北見市)は、夢で見た故郷の話を菖蒲伍長にしたつぎの日、命令受領を命ぜられて出発。部隊本部からの帰途戦死した。

 菖蒲さんは、せめてふたりから聞いた話だけでもと遺族を捜したが、いまだにめぐりあえずにいる―と書いている。

 現役で入隊した杉本上等兵(磯谷)は菖蒲伍長の当番兵でこまかいことに気のつく鉄道員だった。満州出発以来、伍長のそばをはなれず、激しい戦闘を忠実に戦いぬいていた。

 五月中旬、平野大隊長を中心に生き残りの将兵五十四、五人は、陣地を死守していたが、食糧、弾薬はなく、死傷続出で、大隊の全滅は目の前に迫っていた。

 その朝、杉本上等兵は、なにげない口調でこんなことをいった。

「班長殿、杉本もゆうべ家へ帰った夢を見ました。きようは、かならず戦死すると思います。あとをよろしくお願いします」

 あっさり死別のあいさつをいわれ、伍長は妙な気がした。

「なにをいうか杉本・・・死ぬときは、一緒だぞ」

 とは、いってみたものの、この激戦である。そんなことは自分でも信じられないことだった。

 すでに両側の陣地は、米軍に突破され、平野大隊の陣地の後方二百メートルの地点には、日中、堂々とM4戦車二台が現われ、砲撃をあびせている。反撃したくても、大隊本部にも、部隊本部(運玉森)にも戦車攻撃用爆雷がない。

 このままならば、敵は、平野大隊にとどめを刺すため、肉薄攻撃をしかけてくることはあきらかだった。そこで、地下ごうの上から散兵ごうでつながっている約五メートルさきのタコツボにはいり、敵の進攻を監視しなければならなくなった。

 大隊長命令で菖蒲伍長、寺田兵長、杉本上等兵、通信隊の上等兵がえらばれ、四人は監視位置についた。

 監視位置から大隊長にあてた無線連絡が米軍にキャッチされた。杉本上等兵を、左後方百メートルの機関銃(小斯波)中隊へ走らせた。

 彼が出てゆくのと、敵の砲撃がはじまったのと同時、直撃弾がサク裂し、菖蒲伍長は暁兵団の少尉、無線兵らとはね飛ばされた。

 気がついたとき、寺田兵長から口うつしに水を飲まされていた。伍長は、杉本上等兵には、なんども助けられている。その姿が見えないのに不安を感じた。

「杉本は・・・」

 まだ帰らぬという。からだが痛んでいた。はってさがしに出た。

〈動作の敏しような杉本。横から不意の射撃も逆に撃ってくれた。飛んでくる手りゆう弾もさけてくれた・・・どうか生きていてくれ・・・〉胸をしめつけられるような親愛感。散兵ごうをはって行き、うつ伏せになって倒れている杉本上等兵を発見した。全身無傷、顔色正常、眠っているような戦死体。死んだとは思えない杉本上等兵に土をかけ、めい福を祈った。

 戦後、至近弾によるシヨック死―と杉本上等兵戦死原因がわかり、寿都町磯谷の遺族を訪問した。おかあさんは

「あの子の夢を見ました。からだに傷をおわずに戦死した。そのうちに、ぼくに土をかけてくれた戦友がきて、話を聞かせてくれるから、聞いてほしい―という夢でした」

「魂の存在を信じないわけにはいかなかった」―と菖蒲さんは手記に書いている。

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