131霊の存在 おふくろの顔を見たぜ 兵長、故郷の夢を?

 ふしぎなことがあった―と菖蒲(あやめ)正美伍長(三石町本桐、山三四七四部隊第二大隊指揮班)から手記がよせられている。

 狂信者や神秘主義者は、色目で見られるので、菖蒲さんのために一言する。本桐(三石町)であやめ商店を経営する、おとなしいまじめな人(広島村・田中松太郎さんの言)で、記者もお会いしたが、自分の信仰を人に強制するようなこともなく、人格円満な常識人である。

 手記によれば、四月十日、宇栄田を出発した平野大隊が十二日未明、棚原部落に到着したそのときのことである。

 石兵団の第一線陣地は、棚原からさらに北へ一千メートルほどのところにあった。部隊は戦死者がいなかったとはいえ、宇栄田から棚原まで十キロを行軍しみんな疲れていた。陣地侵入は、本夜の予定である。それまで、ひとねむりしようと、各自、寝場所をさがして横になった。棚原部落は、戦場とは思えないほど静かだった。菖蒲伍長は、ぐっすり眠った。

 目がさめたのは、午前六時半ごろ、石兵団の守備する第一線方向からしきりに激しい銃砲声がひびいていた。その音に耳をかたむけていたとき相馬兵長(札幌市北〇〇)が、伍長のところへやってきた。

「おい、いまオレは、札幌へ行ってきたぞ。おふくろの顔も見たぜ」故郷の夢を見たという兵長の様子から、なにか寂しさが感じられた。陽気な相馬らしくもない―と思った伍長は

「それあ、うまいことをやった。だが、相馬、なにか一つ大事なことを忘れていないか? 彼女どうした? 会わなかったのか?」

 ふたりは、十六年七月の応召以来の戦友。満州当時から、しばしば札幌の思い出ばなしを語りあっていた。

「あ、損した―。会ってこなかったぜ・・・」

 ウデのいい建て具職人の相馬兵長は、明るい性格のハンサムボーイ。よく冗談を言って笑わせる大隊本部の人気者だった。この時も、すぐ陽気さをとりもどしてふたりで笑った。

 この夜、二大隊は石兵団の陣地にはいったが、すでに、守備軍は全滅し、四、五人の負傷者が残っているだけだった。夜明けがた、状況もわからぬうちに敵の猛攻をうけた。その状況は田中曹長の手記(平野大隊の戦闘=三十四回―三十七回)のとおりである。

 戦闘中、菖蒲伍長は、相馬兵長戦死の報を聞いた。兵長は、陣地上の場で、本田曹長と奮戦中、頭部貫通銃創をうけたという。敵がひいてから、せめて土だけでもかけてやろうと、伍長は照明弾のあかりの下を捜しまわったが、どれが兵長なのか判別できなかった。

 二十一年一月、菖蒲さんは、札幌市北〇〇に、相馬兵長の母をたずねた。故人の思い出ばなしや、戦地の話をした。兵長の母は、涙とともに聞いていたが、〝むすこは帰ってきました〟とつぎのような話をした。

「夢のなかで、あの子がカスリの着物をきて、だまって私のまくらもとに立ったんです。おまえ、帰ってきたのかい?と声をかけたんですが、なにもいわないで、軍隊にはいる前に愛用していた蓄音器のそばえ行き、好きだったレコードをかけて、私の顔をじっと見ていました。そしてふと目がさめたんです・・・」とこの時は攻撃を前に、棚原部落で、仮のねむりからさめた相馬兵長が〝おふくろに会ってきた〟といった時ではなかったろうか―片目失明の生還者と愛する子を失った母とは心を洗うとめどもない涙のうちに、よき友、よき子・相馬兵長のめい福を祈りつづけた。

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