138梅沢軍曹 にじみ出る人柄 元気に切り込みの訓練

 切り込み訓練は、部隊本部の太田締夫少尉(札幌・幹候出身)を教官に、梅沢喬太軍曹(札幌商業卒・幹候)が助教で行なわれていた。梅沢軍曹は、札商時代剣道部の選手で教官よりも技量は上であった。岡崎見習士官や下士官など、大勢が参加し、練習風景は、まるで学生の剣道大会のような元気さにあふれ梅沢軍曹の人柄がにじみでて、指導は親切丁寧であった。それというのも、開戦と同時に、第一中隊小隊長斎藤道博中尉(札幌)を隊長に七人編成の模範切り込み隊が中頭郡の敵陣を攻撃、生還一人の苦杯をなめていたからだ。

 部隊本部の陣地は、岩石の山を掘り抜いてできている。爆弾が落ちても、内部にひびかない。そばの住民のごうも同様だった。さらに恵まれていたのは食糧である。敵上陸と同時に、製糖工場から大量の黒砂糖が運び込まれた。三人に二斗だる(三十六リットル)一本が割り当てられた。ごうの前の野天に、砂糖だるを小山のように積みあげた。また、本部事務室の机の下には、水アメの一斗かん(十八リットル)がおいてあって、当直者は割りバシで水アメをなめながら無線で大本営発表を聞き、よく朝、上官に戦況を報告する。勤務はすこしも苦痛ではなかった。

 米軍は、上等な紙のビラを、陣地付近に何回もばらまいた。ビラには、太平洋が戦艦とB29でおおわれた絵のうえに、

〈みなさん、あの艦砲射撃の音を聞いたでしよう。あれは、アメリカの兵力のほんの一部です。いまアメリカは、日本本土から近い沖縄を取ろうとしています。日本軍の将校は、いま、どうして逃げようかと相談をしています。だから、みなさんは日本のために戦う必要はありません〉

 これにたいし、日本軍の宣伝ビラも、あちこちにはられた。

〈醜敵は遂に皇土沖縄に上陸し来たり。県民は一木一草に至るまで戦うべし。軍は御稜威(みいつ=こうごうしい威光・神霊の威力)のもと、善諜秘策誓って敵を撃滅せん 現地軍司令官〉

 また、高野兵長は、こんなウワサも耳にした。

〈友軍の潜水艦百隻が沖縄に向かいつつある。陸軍の攻撃と同時に敵艦も大半が撃沈されるので、この戦いは、秘密を守れば、かならず勝てる〉

 ほかにも聞いた―という兵隊が、たくさんいた。

 糸満沖は敵艦で、いっぱいだ。夜になると、将校はじめ兵隊は与座岳台上に登り、特攻機の活躍を見るのを楽しみにしていた。

 ある夜、特攻機二機が敵艦へ突っ込んで行くのを見た。対空砲火もサーチライトも上がらず、敵艦隊は油断をしていたようだ。爆弾投下。駆逐艦の一隻は真っ二つになって、すぐ沈没、一隻は大火災を起こし、約十分後に沈んでいった。梅沢軍曹や高野伍長らは手をたたいて喜こんだ。二機とも生還してゆく―

「よくやった・・・」

 見えない操縦士に手を振り、心からの声援を送った。

 また、肉薄攻撃の訓練用に、戦車の模型を作ってあったが、米軍機は、これを本物と思いこみ、しばしば爆撃して兵隊を笑わせた。楽しい思い出は、これぐらいのもので、その後、しだいに激烈な戦闘が工兵部隊のうえに迫ってきた。

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