139別れの酒宴 朝まで語り明かす 満州時代の初年兵

 四月十五日ごろ、部隊長・児玉昶光大佐は、一同に別れの酒を命じた。夜になって、各中隊は酒もりをはじめた。

 一人平均清酒が三合(○・五四リットル)配給になった。平均以上の酒には、現地調達の泡盛が用意された。

 高野伍長は、清酒を二合(○・三六リットル)ほどのみ、いい気持ちになって、防衛隊(長・西村正准尉=熊本)の助教・笠場嘉一軍曹(余市町〇〇)を訪問した。ふたりは昭和十七年徴集の同年兵で、満州での初年兵時代以来苦労をともにした仲だった。笠場軍曹が乙種幹部候補生になったとき、高野伍長は自分のことのように残念がった。

 笠場軍曹は、高野伍長の来訪をよろこび、西村隊長もまじえて三人で朝まで酒を飲み、大いに語りあった。笠場軍曹が酔っぱらって、野天で寝込んでしまったのを、高野伍長は知らなかった。

 朝、空襲で目をさました笠場軍曹が、あわてて部隊本部の医務室へかけ込んでゆくのを見た。

〈あいつ、そとで寝ていたのか?〉

 友を放置した自分に気がつきちよっと悪いことをした―と思った。だが、二日酔いの苦しそうな顔で走る友の姿に、笑いが腹からこみあげてきた。

「おい、どうした?」

 伍長は医務室をのぞいた。

「いい気持ちで寝ていたら空襲、目がさめたら二日酔い、往復ビンタだ・・・」

 げんなりした笠場軍曹の顔に笑いをこらえることができなかった。

 四月二十日ごろ、那覇西方海上十キロの神山島の米軍は、夜間大里部落に砲撃をあびせ、住民約百八十人を殺した。怒った日本軍は、小録飛行場の高射砲で神山島を砲撃。米軍を沈黙させた。

 四月二十六日、出動命令下令。児玉部隊長以下部隊員は、一部の留守要員を残し、暗夜を利用して首里付近の一日橋の砲兵陣地へ前進した。衛生兵の高野伍長は、部隊の最後尾となり負傷者、落後者の看護をしながら行軍した。夜明けまでに、部隊は首里市赤田町の陣地にはいったが、部隊の後尾は、迫撃砲の攻撃をうけた。

 角田庫繁上等兵は、木陰のくぼ地にかくれたが、迫撃砲弾が身辺に落下、全身に重傷をうけた。助からないと覚悟した上等兵は、水をのませてくれ―といった。徴用された娘さん四人が軍属の資格で看護婦としてついていたが、高野伍長の水筒の水をのみ、娘さんたちに見守られて永遠の眠りについた。その顔には、満足そうな微笑がただよっていた。

 第一中隊の伊坂重市兵長は、安部兵技曹長以下火工兵約五十人と戦車攻撃用地雷(七キロ爆雷)の製造のため、部隊出発後大里部落に残留した。

 二十七日から三十日までは、戦死者が二、三人でたが、大きな戦闘もなく、児玉部隊長以下元気いっぱいだった。

 元気のいいのにつけこんで、シラミもまた、部隊長以下全員の肉体を戦場にしてかけまわった。敵上陸と同時に、全員が新しい軍服をきたが、緊張の連続で洗たくができない。シラミは軍勢を増加し、兵隊各個人に対し猛攻を開始したものである。

 せめて部隊長だけでもと、当番が申し出ると、

「私用で陛下の兵を危険にさらすことはできない」

 といい、児玉大佐は絶対に下着類の洗たくをさせなかった。

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