144負傷兵心理 激しく泣き叫ぶ 痛みも柔らぐのか……

 沖縄守備の日本軍の末期的現象をつたえたエピソードは、ただ山一二○七部隊にとどまらず各部隊にあった。戦記係は各資料を保有している。

 それを、なぜ書かないか―という読者もいるだろう。いうまでもなく、この戦記は、沖縄で戦われた本道出身者の真実を書くことになる。その資料としては、正確で価値のある第一級の資料にもとづくべきである―と考え、生還者の手記を主体とし、その選別は、価値の高下によって書きすすめている。

 新聞記者読本に「人間の出てこない記事は読まれにくい。人間にとっていちばん興味のあるのは人間である」

 と書いてある。その人間の登場する話のうちでも、単なるめずらしい話、異常な体験、唯一の現実よりも、人間性のたしかさ、りっぱさ、尊さ、信じられるものなど、精神の崇高さをつたえた話のほうが、古今東西、価値あるものとされている。

 せっかくの読者に、二級資料の使用は気がひけたので、一級があるかぎりそれを使用してきたが、沖縄戦の真実をつたえるためには、事実をゆがめるわけにはいかない。今後、二級資料でつなぐ個所もあると考えられるので、おゆるし願いたい。

 大湾部落へガソリンを運んだ兵隊は、涙を流してよろこぶ住民―女、子供、老人たち―にむかえられた。決戦を目前に、血気ざかりの兵隊は、人間の愛情にも飢えていた。

 だが、こうした気分も、米機動部隊が大船団を組んで北上しつつある―との電波に一掃され緊張のうちに、敵機の大空襲をうけ、米軍上陸をむかえた。

 金井部隊は、四月十二日、首里赤田町南側の弾薬ごうを患者収容所にきめ、前線の負傷兵収容にあたった。

 部隊の自動車十台その他輜重第二十四連隊の車で、負傷兵を各野戦病院にはこぶのが任務だ。せっかく前線からここへ収容してきても、野戦病院へ移送する車を待つうちに息をひきとる者が続出した。

 朝三十分間、夕方三十分間、敵は砲撃をやめあたりはウソのように静かになる。衛生兵たちは、ごうから飛び出し、戦死者をうめる穴を一心に掘った。そして死体を埋めたが、埋めないうちに艦砲弾が飛来し、墓穴は掘りかえされ、戦死体が散乱する。一週間もすると死体は骨になり、だれがだれか、わからなくなる。患者収容所のごう内は死人のにおいと、血のにおいで胸がわるくなるほどだ。そのうえ暑い。衛生兵たちは、フンドシ一本、汗をだらだら流し、治療に飛びまわる。

「み、み、み……ず……」

 破傷風患者がうめく。背中をのけぞらして硬直し、飲ませたくても、せっかく水がのどへ通らない。顔一面のチアノーゼ(死斑)夕方までは、どうせもたないのだから一口でも飲ませてやりたい。それが、どんなにしてものませてやれないのが残念だ。

 そのとなりは、腹部裂傷で、はらわたをはみだした兵隊。脈をとると、もうプルス(脈搏)がない。腸を露出したまま担架にゆられてきて、さぞ苦痛だったろう。

 うなり声の大きいのは骨折患者だ。洞穴じゅうひびきわたる絶叫。

「助けてくれえ……なあ、衛生兵さん、あイタ、イタ、痛ーい」

 わめいているうちは痛みがやわらぐらしい。これも治療の一法と、叫ばせておく。ところが、激しく泣き叫んでいても、つぎにわめく負傷兵が運ばれてくると、まえの負傷兵は黙ってしまう。ゆずりあいの精神かもしれない。

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