午後七時ごろ、鈴木中隊長は下浅伍長らと四人組となりごうを出ていった。五分おいて、つぎの組。ふたたび五分後にもう一組が出た。
そのとき
「中隊長戦死ッ!」
悲報がごうへ。橘少尉は息を飲んだ。
〈しまった・・・中隊長戦死か・・・〉
からだの力が抜けてゆく。脱出のむずかしさが身にせまる。じっとしていられない不安感―
そのうちにも、脱出組はつぎつぎとごうを出てゆく。第二小隊の番になった。
午後九時、橘少尉は、部下三人を連れ、ごうを飛びだした。
与座岳からの照明弾であたり一帯、真昼のよう。砲弾の雨。まえを走る兵隊がバタバタ倒れる。照明弾が消えた。まっくらやみ。走る。照明弾があがる。ふせる。先頭は橘少尉、つづいて畠山上等兵(礼文)新城二等兵(沖縄出身で少尉と生還した)もうひとりの沖縄初年兵の順。走ってはふせ、走ってはふせて陣地に到着。
〈八重瀬岳へまわろうか?〉
しかし砲弾が激しい。行けそうもない。前の坂道をおりる。急に電灯がついた。
〈ピアノ線にひっかかったなッ!〉
戦車が三、四十台ならんでいる。自動小銃弾の猛射。
〈敵戦車の集結場所だッ!〉
「さがれッ・・・いまきたほうへさがれッ!」
少尉の絶叫。まわれ右をして走る。
〈畠山がいない・・・〉
「畠山ッ!・・・畠山ッ!」
少尉が走りながら叫ぶ。答えがない。
〈やられたかな?〉
敵兵がわめきながら乱射する。
〈ひきかえそう。とても進めない〉
三人が与座岳をまわるころ、夜がしらじらとあけてくる。ごうにはいった。弾薬倉庫だ。弾薬のから箱がたくさんある。少尉はごうの奥に箱を積んだ。そして疲れたからだをそのうえに横たえた。
入り口からまっすぐなごうだ。入り口の前を米兵が何人も通る。
それは見えるが一日じゆう、このごうにいた。
七月上旬、畠山上等兵、沖縄初年兵を失い、腕に負傷した少尉と新城二等兵は、八重瀬岳へかえり、もと鈴木中隊のいたごうへもどった。
戦闘地域に、米軍の食糧がたくさん落ちている。ふたりは、それを拾って食べ生きつづけていた。
七月下旬、他部隊の生き残り五人といっしよになり、与那原付近の山へ移動、共同生活をしていた。
八月三十日、七人で国頭地区へ脱出しようと、首里付近まで進む。
そこで、生存者にあった。彼らは国頭地区から脱出してくる者もおり、北、中飛行場付近の突破は至難である―という。ふたたび与那原の山へもどる。
九月十一日夜、少尉はごうから出た。山の上から声をかけられ、のぼって行った。
米軍の服装をした日本人が四人いる。そのうちひとりが
「自分は山三四八三部隊から山三四七五部隊に転属した近島伍長で、岩見沢出身です。みんなを助けにきました」
という。橘少尉は
〈さては、日本軍の潜水艦がわれわれを助けにきてくれたな・・・〉と思った。
だが、意外な話であった。
「日本は負けたんです。これを読んでください」
渡された紙には、天皇陛下の終戦のことばが書かれてあった。少尉は、彼等が宣撫班員(平和工作をする者)であることを知った。
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