187宣撫班 生き残り兵を助け 終戦を知らせる

 午後七時ごろ、鈴木中隊長は下浅伍長らと四人組となりごうを出ていった。五分おいて、つぎの組。ふたたび五分後にもう一組が出た。

 そのとき

「中隊長戦死ッ!」

 悲報がごうへ。橘少尉は息を飲んだ。

〈しまった・・・中隊長戦死か・・・〉

 からだの力が抜けてゆく。脱出のむずかしさが身にせまる。じっとしていられない不安感―

 そのうちにも、脱出組はつぎつぎとごうを出てゆく。第二小隊の番になった。

 午後九時、橘少尉は、部下三人を連れ、ごうを飛びだした。

 与座岳からの照明弾であたり一帯、真昼のよう。砲弾の雨。まえを走る兵隊がバタバタ倒れる。照明弾が消えた。まっくらやみ。走る。照明弾があがる。ふせる。先頭は橘少尉、つづいて畠山上等兵(礼文)新城二等兵(沖縄出身で少尉と生還した)もうひとりの沖縄初年兵の順。走ってはふせ、走ってはふせて陣地に到着。

〈八重瀬岳へまわろうか?〉

 しかし砲弾が激しい。行けそうもない。前の坂道をおりる。急に電灯がついた。

〈ピアノ線にひっかかったなッ!〉

 戦車が三、四十台ならんでいる。自動小銃弾の猛射。

〈敵戦車の集結場所だッ!〉

「さがれッ・・・いまきたほうへさがれッ!」

 少尉の絶叫。まわれ右をして走る。

〈畠山がいない・・・〉

「畠山ッ!・・・畠山ッ!」

 少尉が走りながら叫ぶ。答えがない。

〈やられたかな?〉

 敵兵がわめきながら乱射する。

〈ひきかえそう。とても進めない〉

 三人が与座岳をまわるころ、夜がしらじらとあけてくる。ごうにはいった。弾薬倉庫だ。弾薬のから箱がたくさんある。少尉はごうの奥に箱を積んだ。そして疲れたからだをそのうえに横たえた。

 入り口からまっすぐなごうだ。入り口の前を米兵が何人も通る。

 それは見えるが一日じゆう、このごうにいた。

 七月上旬、畠山上等兵、沖縄初年兵を失い、腕に負傷した少尉と新城二等兵は、八重瀬岳へかえり、もと鈴木中隊のいたごうへもどった。

 戦闘地域に、米軍の食糧がたくさん落ちている。ふたりは、それを拾って食べ生きつづけていた。

 七月下旬、他部隊の生き残り五人といっしよになり、与那原付近の山へ移動、共同生活をしていた。

 八月三十日、七人で国頭地区へ脱出しようと、首里付近まで進む。

 そこで、生存者にあった。彼らは国頭地区から脱出してくる者もおり、北、中飛行場付近の突破は至難である―という。ふたたび与那原の山へもどる。

 九月十一日夜、少尉はごうから出た。山の上から声をかけられ、のぼって行った。

 米軍の服装をした日本人が四人いる。そのうちひとりが

「自分は山三四八三部隊から山三四七五部隊に転属した近島伍長で、岩見沢出身です。みんなを助けにきました」

 という。橘少尉は

〈さては、日本軍の潜水艦がわれわれを助けにきてくれたな・・・〉と思った。

 だが、意外な話であった。

「日本は負けたんです。これを読んでください」

 渡された紙には、天皇陛下の終戦のことばが書かれてあった。少尉は、彼等が宣撫班員(平和工作をする者)であることを知った。

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