十数台の敵戦車群が二百人あまりの歩兵をしたがえ、第二大隊の陣地に迫ってきた。
「きようで最後だ・・・」
つぶやいたのは迫撃砲小隊長米内軍曹。彼は第二機関銃中隊から迫撃中隊に転属してきた函館連隊区出身者だった。
田中曹長も、これで第二大隊も全滅―と覚悟した。眼前ちかく攻め進んでくる敵戦車―米内軍曹指揮の迫撃砲隊が一斉に火をふく。たちまち四台に命中、動かなくなる。ほかの戦車は反転して退却をはじめた。敵歩兵も後退してゆく。大隊の危機を救った米内軍曹は
「田中曹長殿、もう残弾がありません。軍に弾薬があれば、部下全員でいまから明朝までに運びます。どうか司令部へ電話連絡を願います」
さかんな闘魂である。しかし司令部に弾薬があっても、この砲弾と、敵軍にとりかこまれたなかを弾薬輸送をすることは至難だった。米内軍曹は涙を流して残念がっていた。
また、第七中隊の戦闘員は、続出する戦死傷者のため、残る者十五人になってしまった。最後の下士官・寺岡軍曹は二日間に三カ所も負傷し、戦闘指揮がとれない。
田中曹長は通信紙に〈本部から下士官一人を派遣、第七中隊の指揮をとらせるから、寺岡は大隊本部のゴウに後退せよ〉
と書き、伝令に持たせて走らせた。やがて伝令は、寺岡軍曹からの返信をもって帰ってきた。
〈黒田中隊長以下初年兵当時からの戦友たちが死守したこの陣地で、自分は第七中隊最後の下士官として敵戦車の鉄輪のさびとなることは本望です。
たとえ、大尉がきても、中尉がきても、一日どころか半日も陣地を保つことは至難です。
自分は、毎日来攻する敵の進路、戦闘の慣例のことごとくを頭のなかにいれていますので、第七中隊こがいの残りの部下たちと、まだ二日はがんばれます。
曹長殿、寺岡はこの陣地で死にます。大隊長殿に、下士官のいない第六中隊へ下士官を増員なさるよう意見具申をしてください〉
激烈な戦闘中、感傷にひたっている余裕はなかった。あすは全滅―と覚悟している平野大隊長は、ただ一言「うん、よし」といっただけ。田中曹長は
〈寺岡、よくやってくれた。すまん・・・〉
心のなかで礼をいった。
兵隊たちは、小銃がだめになると、散乱する死体の中から使用できる小銃をさがしだして戦い、やぶれた地下タビと戦死体のクツをはきかえて一四○高地死守の戦闘を継続した。
各中隊は、敵戦車と火炎放射の火でかこまれていた。各隊とも将校は戦死し、下士官が中隊長の任務についていた。兵隊の数も少なく、ある中隊では残る者五人、多くても二十人とはいなかった。
田中曹長は大隊本部左横約三十メートルの陣地へ敵情視察のため進んだ。身辺で手りゆう弾がサク裂する。そのなかをはって第二機関銃中隊のゴウへはいった。
若い幹候出身の中隊長佐藤長太郎中尉がいた。
「おい、田中。本部はいつまで俺に苦しい任務を続けさせるんだ。黒田中尉、大浦中尉、佐野中尉は戦死し、各隊の小隊長も全部死んだ。俺だけが機関銃一つないこの第二機関銃中隊に生き残っている。
今夜、俺以下生き残りの八人で一箱残っている手りゆう弾をわけて持ち、幸地付近の敵の戦車指揮所と迫撃砲陣地へ切り込みをかける。大隊長には明朝まで報告するな」
何度か機関銃、兵員の補充をうけ、その全部を失ったいま、機関銃中隊の任務は終わった。もうゆるしてくれ、もう死なせてくれ―佐藤中尉の叫びは悲痛だった。
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