平野大隊長は
「本部が中隊よりさきにつぶれては話にならん。いかに敵の砲弾がはげしくとも、かならず目を出せ。カタツムリになったら敵の思うつぼ、馬のり攻撃をうけ全滅だぞ」
大隊長にいわれるまでもなく、この教訓は我如古の戦闘以来、全員が骨身にしみている。
田中曹長と川口副官は連日交代で山頂にのぼり、各中隊の戦闘状況、左右の友軍陣地の状態を見張っていた。
第二大隊の関心は、一五○高地の小城正大尉指揮の第一大隊が健在かいなかにあった。
第一大隊は五月十日ころ、戦闘力を失って、第二大隊の右後方一五○高地に後退、兵力は一個小隊にみたない大隊になっていた。
この第一大隊が守備する一五○高地を敵にとられると、第二大隊正面と背後に敵をうけることになる。しかも、一五○高地は第二大隊の陣地(一四○高地)より十メートルほど高く、距離は三百メートルとはなれていない。第一大隊に絶対守ってほしいところだった。
十五日午後二時ころ、田中曹長は川口准尉と監視交代のため、高地頂上の重機関銃銃座跡のゴウへ交通ゴウをのぼっていった。
腰をのばすと、左二百メートルの地点に第七中隊の陣地が見え、その正面へ敵戦車と歩兵が接近、七中隊の監視兵は敵歩兵に三方からねらわれていた。曹長は敵の歩兵を撃とうと小銃をかまえた。だが、よく見ると敵戦車の機関銃の銃口は、本部陣地のこちらに向けられている。撃てば、たちまち撃たれる。息づまるようなそこへ、川口准尉がおりてきた。
「准尉殿、あぶないっ!」
交通ゴウのなかはせまい。
〈ふたりともやられる―〉
曹長は川口准尉の近づくのをとめようとした。
「ちよっと待ってください・・・頭をひくく・・・」
准尉はずかずか近づき、曹長の右側へにじりでた。そのとたん「ウ、ウッ・・・」とうなり、腹をおさえて地面へくずれた。
〈しまったッ!やられた・・・〉
准尉を倒したソ撃弾は、右後方三百メートルの一五〇高地頭上から飛んできたものだった。
〈一五○高地頂上で、きのうから敵歩兵が、きかんにゴウを作っているのが見えたが、まさかこんなに早く撃ってくるとは・・・〉
苦しむ准尉を下のゴウへさげながら、曹長は第一大隊の全滅を感じ、応戦の決意を固めた。敵は一気に第二大隊を全滅させようと銃砲弾をあびせ、曹長は日没まで山頂をはなれることができなかった。
日がくれ、戦闘がやんだ。川口准尉は平野大隊長のそばに横たわっていた。准尉は近づく曹長に細い声で
「田中、あとをたのむぞ・・・」
といい、ズボンのポケットのあたりを手さぐりする。バンドからくさりで大形の懐中時計をつるし、ポケットにいれていた曹長は時計をはずした。すでに本部員の時計は、准尉のこの時計以外、用をなさなくなっていた。
「かたみだ・・・田中、あとをよろしくな・・・」
准尉弾薬補給兵の担架で新川の部隊弾薬庫へ後送された。
夜がふけてゆくにつれ、後送できない負傷兵のうめき声が、ゴウ内にこだまする。
〈准尉殿は、助からねかもしれない。満州西東安の宿舎では、よく夕食をいただいたものだったが・・・〉
曹長の脳裏に川口夫人、赤ちゃんのおもかげがうかんだ。
よく朝、川口准尉は途中で絶命し、弾薬庫前に埋葬した―との報告をうけた。
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