198敵の死体 交通ゴウに四十体 敷きうめたように・・・

 川口副官を失ってからの平野少佐は、力を落とし疲れがめだつようになった。第一線進出以来四十余日その間、睡眠時間は毎日二時間半くらいしかとっていない。心身ともにおとろえるのは、むりもなかった。

 一日の戦闘が終わり、大隊長として夜間なすべき処置をすませて就寝するのが午前四時か五時ころ

「あすは、この陣地も、もうたもてまいなあ・・・」

 弱気になって平野少佐がつぶやく。その声をきくと田中曹長は、なにくそ―という気持ちになる。

「大隊長殿、死力をつくしてまた、あすの晩をむかえて見せます」

 そのことばどおり、曹長は、よく朝七時になると、人員、器材、弾薬をかりあつめて一日中戦いつづけた。

 大隊長も横にはなっているが仮眠程度のねむりしかとっていない。起きあがって思い出したことを命令したり、やってくる報告をうけ、決裁をあたえたり毎夜、七時までのうちに二、三回は起きあがった。

 平野大隊長を元気づける田中曹長もまた、不死身ではない。疲れてくる。戦闘意欲を失いかける。さきに戦死した戦友たちがうらやましく思われる夜がある。曹長は、生き残った戦友たちに話しかける。

「ゴウ内は負傷者でうまっているが、衛生兵もいないし、後送する手段もない。もう、心ゆくまで戦った。あすは大隊長殿とともに、この陣地で玉砕しよう」

 すると平野少佐が

「なに、まだだいじようぶだ。後方の砲兵も司令部も、まさか、わが大隊の戦闘状況がわからんわけはない。なんとかして援護してくれるだろう。がんばるぞ」

 ふたりのうち、どちらかが強気をだして激戦をつづけていた。

 五月二十二日―十数台の敵戦車は、各中隊陣地のあいだを抵抗もなく進んできて一四○高地のふもとにとまった。戦車についてきた多勢の敵歩兵は、大隊本部ゴウへのぼってきた。

「馬のり攻撃だ!」

 田中曹長は山頂にいた十人ほどの兵隊に、ひとり四発ずつの手りゆう弾を分配した。彼らは交通ゴウに伏して、敵兵の接近するのを待った。

 足音や話し声が近づく、曹長はそっと頭をあげて敵情を見た。前方十メートルのくぼ地に、約五十人の敵歩兵。全員自動小銃をかまえ、まさに、こちらの陣地へおどり込まん姿勢―

「いまだッ、投げろ!」

 曹長の号令。約十人の兵隊は敵の頭上へ手りゆう弾を投げつづけた。

〈うまくいったッ!〉

 のびあがってみた。血だらけの敵兵が一人、一五○高地への道を死にものぐるいで駆けおりてゆく。

〈あいつを逃がしてはたいへんだ。向こうの敵陣から攻撃をうける〉

 曹長はピストルを握りしめ、いっさんにあとを追う。交通ゴウのなかには、敵兵が敷きつめられたようにたおれていた。そのうえを踏んで走る。グニヤッとした肉を踏む足ざわり。

〈はたして、みんな死んでいるのだろうか?〉

 走りながら、不安が胸にわく。敵の戦死体は三、四十体。

〈もしも、このなかに生きている者がいたら?・・・この倒れた敵兵のなかに、目と手のきく者がいて、いま、自分を撃ったら・・・〉

 曹長は、散乱する敵兵の死体を見回し、急におそろしくなった。

〈全員が死んではいないはずだ。死んだふりをしている者も、このなかには、かならずいる〉

 逃げてゆく敵兵を追うのをやめふたたび敵の死体を踏みつけてもとの場所へひきかえした。

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