五月二十三日午前四時、敵歩兵は一四○高地に馬のりし、後方の一五○高地からは敵戦車が攻めてきた。
大きな入り口には、平野大隊長と竹浜軍曹、小さな入り口には、田中曹長と兵ふたりが守備配置についた。曹長は入り口の前に土を積みあげ、そのうえに土をいれた弾薬箱を二つならべた。箱と箱のあいだを三センチほどあけ、小枝と草で偽装した。
敵戦車が左から右へ、キャタピラの音をとどろかせて通過する。曹長は弾薬箱のあいだから見て一台、二台と数えた。
大隊長の守備する入り口は、前の盛り土が高く、敵戦車を見ることができない。曹長は兵隊を使って戦車の数を報告していた。
四台目の戦車が、曹長のいる入り口で不意に停止した。距離は十五メートルくらい。砲塔を右へまわし、入り口に向けた。
〈あっ、撃たれる!〉
息がとまる。心臓がドキドキ・・・と大きく脈をうつ。大きく開いた砲口が悪魔の口のよう。長いような、みじかいような時間―。曹長は砲口をにらみつけていた。全世界が消し飛ぶような大音響。曹長は気を失った。
胸にチクリと痛みを感じた。全身が熱い。呼吸が苦しい。
「曹長殿・・・曹長殿・・・」
遠くから聞こえるが、これは
〈高田伍長の声だ・・・〉
「田中ッ!・・・田中ッ!」
〈平野少佐だ・・・ずいぶん遠いかすかな声だな・・・おれは、戦車砲で撃たれた。もう、死期が近いのだろう・・・〉
田中曹長のぼんやりした意識―だが、それはしだいにはっきりしてきた。
〈戦車が攻めてきた。こうしてはいられない。たたかおう、たたかおう・・・〉
からだをうごかそうとした。動くようでもあり、全然うごかないようにも感じられる。
〈これは、ロウソクの赤い火だ。顔に近づいたり、左右に動いたりする。俺は、まだ死んでいないらしい・・・〉
曹長は「ううっ・・・」とうなった。
意識がすっかり回復したとき、上半身はだかにされていた。成瀬衛生曹長がカンフルを十本以上もうってよみがえらせたことを知った。
曹長のいたゴウの入り口は、地質が弱く、戦車砲弾の一発目が、入り口の約一メートルうえでサク裂、曹長は土砂がくずれて埋まった。敵戦車は、つづけさまに二、三発撃ったため、曹長の全身は土の下に埋まったが、高田伍長らが力をあわせて掘り出した。
曹長は頭、肩、腕などに五カ所、砲弾の破片をうけていた。その手当てをうけ、軍装をととのえて戦列に加わった。
平野大隊長の守備する入り口へ行く。直径二メートルもあった入り口は、砲弾でふさがれ、二十センチほどの小さな穴に変わっていた。
その穴から、夕ぐれの弱い光線がゴウ内にさしこんでいる。ここ以外の穴をふさがれたため、ゴウ内は三十五度を越す温度、全員あつさと呼吸困難に苦しむ。
ひとりの負傷兵の汗にぬれた顔に、弱い外光が光っていた。彼は、あえぎながら動かすことのできる右手に手りゆう弾をにぎり、自爆しようとした。すばやく平野少佐が見つけ、手りゆう弾をとりあげた。
「あと一時間のしんぼうだ。そとがくらくなれば、この穴をひらいて、全員が涼しい外気を胸いっぱいすえるのだ。がんばろうぞ」 あえぎながら、このことばを大隊長は、自分自身にいいきかせているようだった。自分が弱気になるのをふせいでいるようだった。
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