〈各中隊や配属をうけた工兵機関銃中隊に、もう生存者はいないだろうか?〉
田中曹長は、それらを弁ガ岳の部隊本部に後退させ平野少佐の指揮にいれる責任を感じた。敵の攻撃をうけ、負傷しながらも各陣地をたしかめて歩いた。
回り歩いて、大隊本部のごうへもどったのは、午前零時ころだった。
ごうのなかに重要書類、通信紙類を放置したまま。それを始末した。
〈ここに居残って死ぬべきか?それとも脱出すべきか?〉
迷っているとき、ごうへ接近してくる数人の足音―
〈敵だな?・・・この真夜中に・・・勇敢なやつらだ〉
手りゆう弾の安全せんをぬく。近づくのを待つ―
「曹長殿ッ!・・・田中曹長殿ッ!」
〈友軍だ!バカ野郎!敵にとりまかれているのに、大きな声を出しやがって・・・〉
やってきたのは、部隊本部の通信中隊の見習士官以下十人。彼等は、吉田部隊長の命令で曹長を迎えにきたという。
「あすから連隊は、弁ガ岳で最後の陣地配備につきます。地形地物をよく知っている田中曹長殿がぜひ必要だから、いかに重傷であっても、かならず帰隊させよ―とのことでした」曹長は頭から腰にかけ、二十三カ所の負傷、耳も目もよくきかない。
〈さては、札幌の実家からとりよせ、腰にさげていた古刀「正俊」を、軍刀より軽いから持ってゆけ―と、後退する竹浜軍曹に持たせたのを、部隊長や大隊長が、田中は死ぬつもり―と判断したな?〉
敵の猛攻をうけながら、陣地を確保しようと死闘している原隊を思うと、じっとしてはおられなかった。
〈おれはバカだ。これだけやられても、まだこりず、後退してまた戦うつもりなんだ〉
通信隊の兵隊に手をひかれ、ごうをでながら曹長は自分を笑った。五月二十四日午前三時だった。
このころ第三(田川)大隊の戦闘を田中曹長はつぎのように書いている。
第三大隊は一四○高地(第二大隊陣地)の右前方・野戦重砲陣地にいた。
田中曹長ら第二大隊員は、監視所のごうから左側面に、この田川大隊本部が、敵の馬のり攻撃をうけ、苦戦しているのを見ながら、左側面の敵と交戦していた。
やがて負傷した田川大隊長が当番兵と敵中をくぐりぬけ、一四○高地右端に到着したのを田中曹長が認め、伝令を走らせた。
〈わが第二大隊本部ごうへおいでください〉
田川大隊長は、高地右端の砲兵の弾薬置き場のごう内にいた。田川少佐は、まだ第一(鶴谷)大隊が、一五○高地に撤退しないうちに後退した自分を恥じ「おれが悪いのか、それとも敵の火力がまさりすぎるのか。おれはあの陣地で指揮下各中隊を最後の一兵まで失ってしまった。おれは、人員の補充をうけ、さらに悲惨な戦闘を続けるにたえない。
ここで敵の一人でも倒し、おれの大隊の最後としたい。平野少佐の健闘を祈る」と答え、遂に第二大隊の陣地には来なかった。
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