田中曹長は、全力をつくして穴からはいあがった。身うごきできないほどの疲れ―足音を耳にしたのは、しばらくたって、疲労が回復してからだった。
よく見えないが日本兵らしい―と直感し、声をかけた。相手は独立速射砲の監視兵であった。曹長は歩兵二十二連隊の最後のひとりとして陣地をさがる途中だ―と告げた。
「敵戦車の攻撃は、すごかったでしよう」
監視兵は同情をよせ、弁ガ岳の部隊本部まで約五百メートルほど手をひいて道案内してくれた。
曹長は全身、どろと血にまみれ、本部についたが、だれも田中曹長と見わけられなかった。その負傷したからだを炊事場の米をいれた麻袋のうえに横たえた。本部のゴウはせまく、そこ以外あいていなかったのである。
吉田部隊長が見舞いにきた。
「ごくろう。よく平野を殺さず帰ってきてくれた。部隊は、きのうから後方部隊の補充をうけ、ふたたび戦力ができた。田中、死なれんぞ。部隊が全滅する時は、軍の最後だ。よくなってくれ」
いそがしい戦闘中、部隊長みずからの力強いはげましに、曹長は感激した。
五月二十五日、弁ガ岳陣地で米軍の南下を防ぐ戦闘を行なうことになった。弁ガ岳付近は、丘を中心に、ドーナツ状のくぼ地になっている。外側・幸地部落方向は三百メートルも平地がつづき、戦車で攻められると防ぎようがなかった。
東の方向は地表が起伏しており、急な坂などもあって戦車や歩兵の攻撃はふせげるが、中城湾、与那原沖からの砲撃には好目標になっていた。
平野少佐のそばには、竹浜宝一軍曹、高田伍長、松岡一夫兵長ら六、七人しかいない。新川野戦病院の軽傷者も集めて配置についた。
米軍は占領した一四○高地、一五○高地から迫撃砲を撃ってきた。距離約一千メートルの弁ガ丘陣地は終日砲弾をあびた。
その夜九時ころ、平野少佐が田中曹長に
「部隊は二、三日ここを確保し、わが軍の島尻地区転進を擁護するよう命令をうけた。今夜半、豊見城から防衛隊員が弾薬を運んでくるから、田中は彼らと宇栄田へ行き、もとの陣地にいる各中隊の残留者を糸満以南の国吉、米須に後退させ、大隊が現任務を達成、米須に転進するのを待て」
と命令した。曹長は、目が見えず、負傷で立ちあがれない。
〈雨の夜道―しかも、避難民と負傷者でごったがえす島尻への道を進むことは不可能だ〉
命令を無視して弁ガ岳に残った。
〈どうせ死ぬのだ。戦友のそばがいい・・・〉
二十七日夜、田中曹長は平野少佐に見つけられ、国吉へ後退するようかさねて命令された。
負傷で立ちあがれない田中曹長に、戦友とはいえ、見もしらぬ下士官や兵隊が、いそがしい時間をさいて、サジで飯をくわせてくれていた。曹長は戦闘員に迷惑をかけるべきでない―と考え。後退を決意した。
平野少佐は、残りすくないカンパン四食分を田中曹長の胸につるした。両腕に貫通銃創をうけているので、雑のうに入れたのでは食べれない―と少佐は考えたのだ。
「大隊長殿、それでは国吉で待っています。かならず、元気で島尻へさがってきてください」
「うん、気をつけて行けよ」
曹長は腰をロープで防衛隊員にしばり、四国めぐりのお遍路さんのように、カンパンの袋をあごの下につるしていた。平野少佐に見送られて島尻へ後退したが、これが少佐との永遠の離別となった。
コメント