237火の玉 無気味なえい光弾 ゴウの入り口に集中

 敵兵が気づいて、あわてはじめた。佐藤上等兵は、手りゆう弾を、鉄帽にぶっつけた。手りゆう弾が煙をふく。下を見ると、山田一等兵ら三人が、斜面をはいあがってくる。敵兵のおどろきは、彼らにあることを知った。上等兵は軽く、手りゆう弾を、上のタコツボへ投げた。サク裂音が、全身に伝わってくる。

〈逃げよう〉

 走ろうとしたとたん、つんのめった。同時に、両側から敵の手りゆう弾集中―倒れている上等兵には、あたらない。

〈よかった・・・ころんだから助かった・・・〉

 上等兵は、くぼ地から下のゴウへすべりおりながら、この幸運に感謝した。つづいて、山田一等兵らが首や手に負傷して、ゴウへころげ込んできた。

〈だらしのないやつらだ。敵をひとりもやっつけないで、負傷するなんて・・・〉

 そうは思ったが、これも運と思い、だまっていた。

 日中は晴れていたが、日ぐれとともに小雨が降りだした。砲弾のサク裂は全然ない。陣地は静かだが、照明弾が昼のように明るく、ゴウから一歩も出ることができない。中隊長からは

〈今夜、全員で占領された各陣地を奪回するため、切り込み隊を編成せよ〉

 と命令があった。全員といっても、動ける者は十人たらずである。負傷兵の手りゆう弾も集め、佐藤上等兵は中平一等兵と芦崎分隊の陣地を攻撃することに決まった。

 午後九時ころ、ゴウの入り口から敵状を見た。小雨が音もなく降りしきり、照明弾で白昼のような明るさ。昼間、切り込みをしたゴウの上には敵兵がいる。芦崎分隊へ通ずる切り割りの斜面にも敵兵。陣地までは百メートル。この明るさは到着は不可能―と上等兵は判断した。

 一度、真っすぐ下へおり、それから攻撃しよう。

 山上、中平一等兵ほか一名に指示を与えた。

「さきに俺が前の弾痕(タマのあと)へ飛び込むから、そのあと、お前たちがついてこい」

 上等兵は、飛びだす機会をねらった。ゴウの上の敵兵は、機関銃で曳光弾(えいこうだん・火をふいて飛ぶタマ)を、ゴウの入り口に、おどし撃ちに撃ちつづけている。

〈恐ろしいなあ。だが、いつまでもこうしておられないぞ〉

 思いきって飛びだした。待っていた―とばかり、火のタマが佐藤上等兵の走るまわりに集中する。上等兵は、からだを泥のなかへめりこませるような勢いで弾痕の中へ飛び込んだ。火の玉は、雨のように集中する。穴の底にへばりついていた。たまり水が、ふせた腹部に冷たくしみてくる。小銃もからだも泥だらけ。火の玉は、無気味な音をたてて、からだのまわりにつきささる。すこしも身動きできない。照明弾の強烈な明るさの下で、上等兵は死を予感した。

〈ああ・・・もうだめだ・・・〉

 すると、自分の弱気をしかる力が、どこからともなくわいてくる。

〈死んではいけない。なんとかして、逃げだせ!〉

 新旧の照明弾が交代する時、ほんの数秒間、うすぐらくなる。その時を利用して、すこしずつ、からだを横へずらせた。ウジのはうような進み方だ。だが、時間をかけて、やっと、弾痕のはじにつくことができた。

〈つぎの弾痕は、すぐ、となりだ。すきをみて飛び込もう〉

 その時、うしろのゴウからだれかが飛び出した。彼をめがけ四方から火の玉が狂ったように集中した。

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