地の底へ埋められるような岩石、土砂のくずれる音がやんだ。
〈生き埋めをまぬがれたのか・・・〉
しばらくは、動く気力もなく、真っ暗やみのなかに、ふせたままだった。二、三時間後、カンテラを捜し火をつけた。頭上の大岩が、生き埋めをふせいでいた。
この死の試練がもとで、見もしらぬ残留者七人は、たがいに口をきくようになった。
▽横井兵長(山三四八○部隊、胸部貫通銃創)▽朱山上等兵(山三四七六部隊、腹膜手術後の悪化)▽前田一等兵(暁兵団船舶工兵、左肩貫通銃創)▽飴谷兵長(同、右腕貫通骨折銃創)▽発音困難な兵隊▽満山上等兵(山三四七六部隊、左眼盲貫破片創)
上等兵は、医務室の用紙と鉛筆で日記をつけた。六月三十日―頭部負傷の沖縄出身初年兵が発狂して死んだ。
ウジが鼻や口からではいりしている。毛布につつんですみへころがす。ほかにも、数十体の死体がある。そこからでたウジが生きている者にもはいあがってくる。六人は、外からは米兵、内からはウジに悩まされ、移動を話し合った。
明りをつけるマッチは、湿気で火薬がボロボロ。これをつけるコツは、まず鼻のわきをよくふき、マッチの軸をあてる。ほおをよくふき、紙のほうをあてる。両方を暖め、弱からず強からず、サッと一気にこする。
前田一等兵が、このへんの状況を知っているというので、案内役とし、七月七日夜、全員で出発した。
敵弾をさけ、進んで行くうちに朝になった。まえに日本軍の陣地だったという自然ドウクツにはいった。六人の共同生活が始まった。
数日後、満山上等兵はドウクツ内で「沖縄の歴史」という厚さ四センチくらいの本をみつけた。この本に〈島尻地方に自然の大ドウクツがあって、首里、那覇方面に通じているという伝説はあるが、まだだれもたしかめた者はいない〉と書いてあった。
上等兵はいまいるところが伝説中のものと推定し、敵陣の背後に出るため、探検を決心した。米軍の電話線を切り取って灯火とし、米軍のかん詰め二個をもち、前田一等兵とドウクツの奥へ向かって出発した。広場があり、灯火のとどかない真っ暗な天じようから、大きな鍾乳石が無数にぶらさがっている。下からは太い石筍(せきじゆん)がたくさんはえている。それらが灯火にユラユラゆれて、巨獣の口の中にでもいるような感じだ。石筍のうえに飯ゴウやあきかんを二十個くらいもおく。二十四時間後には、飯ゴウ二杯くらいの水がたまる。いままでこれを利用していた。
奥へ進む岩の裂け目が、一・六メートルほど上にあった。そこから一メートル幅くらいのドウクツが、まがりくねってどこまでも続いていた。天じようは高くて見当がつかない。足元には、大きな岩がちらばっており、水の流れたあとがあった。
しばらく進んでゆくうちに、よろめいて灯火を消してしまった。五、六本準備したマッチは湿って火がでない。仕方なくふたりは、出なおすことにして、真っ暗なドウクツを、手さぐりで、出発点へ戻った。
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