「沖縄に払った代価は高かった」と勝った米軍がその記録のなかでのべている。
「沖縄における米軍の損害の総合計は今度の日本との戦争において、どの場合よりも多く、一番損害の多い戦闘であった」
「勝利の代償が、こうも高かったのは予想よりもはるかに強大な力をもった日本陸軍に対し、戦いをいどんだことであり、しかも、それがけわしい地形に、おどろくほど強固なトリデがつくられていたこと、さらに米軍が、本土から幾千マイルもはなれたところで戦ったことなどである」
山兵団はじめ日本軍は負けたとはいえ、強大な米軍に大きな打撃をあたえた。米軍の損害の内訳はつぎのとおりである。
▲戦死と行くえ不明一万二千五百二十人。負傷=三万六千六百三十一人(合計四万九千百五十一人)。陸軍の戦死は四千五百八十二人、行くえ不明は九十三人、負傷は一万八千九十九人。マリンの損害は戦術空軍をふくめ戦死と行くえ不明が二千九百三十八人。負傷四千八百二十四人。非戦闘員の損害は、陸軍一万五千六百十三人、マリン一万五百九十八人。
▲艦船の損害は沈没三十六隻破損三百六十八隻(ほとんど特攻機などの空襲による)
▲空中戦による米軍機の損害は、四月一日から七月一日までに七百六十三機。
これに対し、日本軍の損害は、米軍のそれをはるかに上回るものであった。約十一万の日本軍将兵が戦死し、七千四百人が捕虜になった。飛行機は七千八百機を失い、軍艦十六隻が沈没、四隻が破損した。
人員で十倍、航空機で十倍、ただ軍艦だけは、絶対数がすくなかったため半分の損害ですんだ。
沖縄住民の死は、県立高女生の白梅部隊、県立第一高女生の姫百合部隊、沖縄師範学校生徒の鉄血勤皇師範隊、沖縄県立第一中学校生徒の鉄血勤皇隊などをはじめとし、戦没した一般住民をふくみ十六万五千五百三人(勤皇隊七百八人、護郷隊百六十七人、防衛隊九千十九人、応召兵三百三十六人、現役兵四千五百七十五人、一般住民十五万六百九十八人=琉球政府社会事業課調査)
日米両国の戦死者を総計すると二十八万七千余人にのぼる。巡拝団の荒谷きみさん(札幌北○○)小紙タキさん(小樽市○○)は、それぞれふたりの子を沖縄で失った母である。
荒谷さんは、船酔いで病人のようになっていた。見舞った記者に
「どんな精密な機械でも、それを製造するのに二十年はかからないでしよう・・・人間が一人前になるまでには、大変な苦労をして二十年はかかるのです。それをむざむざと殺してしまうなんて、戦争は絶対やめてください」
小紙さんは、涙で顔をグシャグシャにしていた。いきなり記者の両手を握りしめた。
「これをあの人に(琉球立法院議員・宮城善兵さん。沖縄丸船内で巡拝団に沖縄戦を説明してくれた)あの人は、沖縄の戦争で子供さんを六人も失われた。お気のどくに、どうか、これをさしあげてください」
オリンピックの記念の千円銀貨が堅くにぎりしめられていた。
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