036平野大隊の戦闘3 犠牲増すばかり 敵の手を読み作戦計画

 田中曹長は、兵隊を戦死させまいと、必死であった。多少の犠牲は、やむを得ない。が、戦力を低下させてはならぬ―

 陣地へ飛び込んですぐ、人員を調べた。重信中尉以下衛生軍曹など七人戦死、たよりにしていたのに。これからの戦闘で出る負傷者はどうなるんだ―田中曹長は、気が重かった。

 重信中尉は、山兵団が満州から沖縄転出のとき、東安の陸軍病院から転出してきた内科医で戦闘の経験がなく、戦闘を非常におそれていた。

 けさ、部隊が、棚原部落で前進準備をしているとき、部落でヤギが鳴いていた。

「田中曹長、本部は、敵の攻撃をうけない安全なごうに入れてくれよ。敵弾下では、負傷者の処置もできないからな。おれは戦闘員ではない」

 重信中尉は、敵弾をおそれ、何度も何度も同じことを言っていた。気のどくなことをした―田中曹長は、はりつめた気持ちに、一まつのさびしさがしのびよるのを感じた。

 平野大隊の各中隊は、それぞれの陣地についた。

 十三日午前六時半から一時間半(八時まで)にわたり、米軍は十五リュウ弾砲、野砲の集中砲撃を浴びせ、その援護のもとに、M4戦車四十台を、わが平野大隊陣地の正面と、左右の丘のクボ地へ進攻させてきた。

 大隊指揮班では、事前に、敵戦車の侵入してきそうなクボ地を各中隊に示し、対戦車戦を準備していたが、司令部にも資材器具がない。事態は切迫している。歩兵用のエンピとクワで、各所に肉薄攻撃用のタコツボ、戦車ごう掘りをはじめた。

 四月十日以来、睡眠は、一日二、三時間。それも雨にうたれながら、うつらうつらしただけ。食事も、むろん満足ではない。平野大隊の全員がそうだ。疲れと飢えで、体力気力、きわめて低下、戦死の死体も陣地に散乱したままだ。

 敵の照明弾が、黄色くユラユラと落ちては、また、新しいのが上がる。その光をうけ、徹夜で穴を掘りつづけた。今夜はこの作業に心血をそそぐ。あすは、この穴で敵戦車に体当りする。眼前で死臭を放つ戦友と同じ運命をたどるのだ―

 目前に迫った米兵の砲撃、空からの艦砲と爆撃、一分の休みもない迫撃砲。本部と各隊をつなぐ交通ごうは、これらの砲爆撃で掘り返され、夕方になると、畑のような平地に変わり、用をなさない。

 後方の棚原旅団司令部から延線した有線電話もそうだ。夜明けと同時に開始される砲撃で寸断され、通じない。友軍砲兵の援護射撃を、司令部に申し入れようとするが、無線も使用不能だ。いまや、平野大隊に残された道は、大隊の自力で、敵を排除する以外にはなかった。

 大隊本部陣地の前方、百五十メートルに第五中隊陣地があり、米戦車八台、歩兵百人ほどが、本部陣地に背中をむけて攻撃をかけた。本部の指揮班、通信兵らはこの米軍に銃砲撃を浴びせて退却させた。

 本部陣地の岩山のふもとに、沖縄人の大きな墓が三つならんでいた。この墓の中に迫撃砲小隊を入れてあったが、手持ち弾薬は三十発。いつまでこの陣地を守備しなければならぬか不明なので、温存してあった。

 大隊砲も、墓地内にかくし、敵戦車が五十メートルくらいに接近するのをねらい、一発か二発ねらい撃ちした。敵は、一発が命中すると、十台もの戦車が一斉に退却する。二、三時間は攻撃してこないが、敵砲兵陣地から五百発以上の砲弾が集中する。

 戦死者は出るし、陣地はくずれるし、被害は大きい。毎夜、くずれた陣地の補修作業や偽装を朝まで続け、夜があければ戦闘開始だ。占領したころは、木や草の茂みにおおわれていた陣地一帯は、日夜をわかたぬ敵の砲爆撃で、いまや一本の木もなくなり、地面や岩石をむき出しにしていた。

 大隊指揮班は、昼の戦闘にもまして夜間は多忙をきわめた。陣地補修の作業のほか、戦死者の報告と調査、兵器弾薬の補給、昼間の戦闘状況の検討、敵戦車の進入路と後退方向の調査、戦車の種類、とう載兵器などの研究をして、あすの防戦計画をたて、各中隊に指示を出す。

 冷静に考えれば、敵の先方、兵器にも、欠点を発見することはできた。同じ失敗は、二度とくりかえしたくない。尊い人命をむだには失いたくない。命をかけた戦闘である。尊い経験をいかし、手法を考えた。

 米軍が、海と陸から砲撃集中すれば、進撃準備中。迫撃砲、野砲のりゅう散弾が、夕立ちかまるで湯のたぎるように身辺に落下すれば、二十分くらいに、敵兵が攻撃していくる前兆だった。

(以上田中松太郎曹長の手記による)

沖縄戦・きょうの暦

5月7日 日本軍は攻撃を中止、防御戦闘中。

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