山三四七五部隊第二大隊(長・志村常夫少佐)の第二歩兵砲小隊(長・日原正人中尉)は五月一日未明、谷間の水田の中を通って、第一線の前田一四六高地にむかった。照明弾があかるく、砲弾が無数に落下、前進は危険を極めた。
一四六高地は南下する米軍をふせぐ日本軍の主要陣地で、海岸に面したほうは、高さ数十メートルの断崖になっている。敵戦車は近よることができず、日本軍からは、一目で敵状を観察できた。
歩兵砲小隊は、日原小隊長以下、指揮班、砲二門、弾薬班の編成で、照明弾、砲弾のなかを進む。前田部落から仲間部落に通ずる道路にさしかかった。路上に、通信隊の電話線が砲弾のため、バラバラに切れてちらばっている。戦闘の激烈さがしのばれ、負けいくさの日本軍をそこに見るようであわれだ。
撫養兵長(深川)は、部隊とともに、そこから百メートルほど進み一四六高地の真下に到着した。照明弾の明りで、あたりを見回すと、砲弾に掘りかえされた山はだが、一面に赤土と岩石をさらし、高地一帯、緑色が一つもない。
大隊長から、歩兵砲小隊の全員は、山頂の陣地につくよう命令された。歩兵砲は、高地の下に位置して、山頂の友軍をえんご射撃し、同時に、高地前方の敵を砲撃するものとばっかり思っていた隊員は、意外の感にうたれた。
吉田兵長は四年兵の古強者、砲の位置について、日原小隊長とさかんに言い争いをしているだが、命令は命令だ。みんなは山頂めがけて前進をはじめた。砲手班は、砲を分解し、かついで山を登ってゆく。頭上を敵弾が、ピユン、ピユン飛ぶ。
先頭の者を見失わないよう、無言で、どんどん登る。先頭から前進がとまると、さっそく伏せて、頭のところに石をつむ。何度か伏せ、前進し、夜明け方山頂の陣地についた。
陣地には、石兵団の生き残りが十人くらいと、小銃中隊、機関銃中隊がいた。すぐとなりのごうには、第二大隊の本部がはいった。
歩兵砲小隊は人員点呼を行なった。吉田長太郎兵長、石丸伍長、大須田兵長、佐藤長治上等兵がいない。戦死と推定しているところへ大須田兵長がやってきた。ごうの入り口をまちがえ山頂にのぼり、引きかえしてきた―という。
吉田兵長は、親分といわれ、みんなに親しまれていたが、山頂で敵弾を腹部にうけ、自分で巻き脚絆を腹にまき、立ち上がって天皇陛下万歳を叫けび戦死したことがわかった。名に恥じぬ、モサらしい最期―と、みんなは、兵長の死をおしんだ。石丸伍長、佐藤上等兵の戦死も推定された。
砲撃開始は、二日未明。大隊副官庄子少尉が、山頂から命令をくだす。和田重機中隊では、機関銃の銃身が赤く焼けているのに、なおも撃ちまくっている大隊砲もさかんに、砲撃中だ。庄子副官が戦死した。砲手も、つぎつぎに戦死。砲手班の兵隊が、観測班のところへ走ってきた。
「おい!なにか、まちがえていないか?タマが遠くへ飛びすぎるぞ!」
撫養兵長は、ビックリして砲弾をしらべた。装薬の変合を忘れている。
―あわてて砲撃を開始したため、調べるのを忘れたのだ。兵長は、ごう内に軽傷者を集め、さっそく装薬の変合をしなおして、砲弾を送り出した。
第二歩兵砲小隊名簿
(撫養富司さんの調査・敬称略)
生存者=小隊長日原正人中尉(東京)稗貫八郎軍曹(標津町)工藤正夫上等兵(室蘭市〇〇日鋼勤務)戸沢博兵長(歌志内市〇〇)斎藤秋夫兵長(勇払郡安平町〇〇)谷栄兵長(奈井江町)佐々木栄兵長(湧別町〇〇)高橋禎上等兵(札幌南〇〇)宮田英一郎上等兵(美唄市〇〇)中川徳三一等兵(深川市〇〇)町矢敏夫一等兵(札幌市白石)大須田英四郎兵長(自衛隊)福島安夫一等兵(日高)佐藤秀雄上等兵(東京都〇〇)前田武正上等兵(旭川市)佐藤良治上等兵(三笠市〇〇)河野光雄上等兵(登別町〇〇富士鉄勤務)撫養富司兵長。
戦死者=渡辺久曹長(紋別〇〇)佐藤勝美軍曹(山形県)山谷義知軍曹(札幌)谷藤公道軍曹(小樽)安西繁伍長(札幌)石丸繁美伍長(札幌)富樫末治伍長(三笠)中原博伍長(勇払郡追分)林四郎伍長(帯広)奥村豊伍長(室蘭・もと国鉄管理部勤務)吉田長太郎兵長(増毛)小野守上等兵(勇払郡追分、もと国鉄勤務)花井冷治上等兵(札幌)成田義雄上等兵(深川市〇〇)沢地博兵長(札幌)=つづく=
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沖縄戦・きょうの暦
6月12日
小禄の日本海軍陸戦隊米軍と激戦。わが陸戦隊は全滅の段階に追いこまれる。
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