073切り込み えい光弾さく裂 不意をつき敵機関銃の猛射

 米軍は、日本軍が大砲やテキ弾筒を撃つと、すぐ退却する。そのあとに、かならず発煙筒をたいてゆく。これを日本軍が深追いすると、煙幕めがけて敵の迫撃砲弾が飛んでくるし、上空で見張っている米軍機の爆撃をうける。進撃は禁物だった。

 歩兵砲小隊では、負傷者が続出。ごうのなかに引き入れるだけで、手当てができない。昼間の戦闘は、戦死者を出すだけなので、夜間、切り込みにゆくが、無事に帰る者は少なかった。切り込みで富樫伍長(三笠市〇〇)佐藤金之助上等兵(室蘭)が戦死した。

 このときの状況を山三四七五部隊志村大隊日原隊の佐藤良治上等兵(三笠市〇〇)の手記によってつづる。

 五月二日、前田高地のごう内で、日原隊長から切り込みの命令をうけた。二人一組である。佐藤良治上等兵は岡部正雄上等兵(夕張)と組んだ。富樫伍長、伊藤金之助上等兵が一組。

 状況として―二日夜、第五中隊(長・大場大尉)が、前田高地前方約二百メートルの米軍に夜襲をかける。敵の混乱中に二組の切り込み隊は敵の背後にまわり、米戦車を炎上させる―

 生還はのぞめなかった。佐藤良治上等兵は、これが最後だと思い、両親に模様を伝えてもらうべく、第七中隊の伊藤三正上等兵をさがした。二人は、小学校時代からの親友で、入隊日も部隊、大隊も同じだった。伊藤上等兵が見あたらないので、蔵田久雄上等兵(岩見沢)に、そのむねをたのんだ。

 だが、運命は皮肉だ。後事をたのんだ佐藤良治上等兵が生きてかえり、頼まれた蔵田上等兵はつぎの日戦死。また、伊藤三正上等兵は、二日後(五月四日)前田高地のごうが、馬のり攻撃をうけた際、決死隊員としてごうから飛び出し、迫撃砲弾で戦死した。

 死人に口なしだが、佐藤手記をみると、戦死者は、死の状況を家族に知らせたい―思いをいだきながら死んでいることがうかがえる。

 四人の切り込み隊員を前に、日原小隊長は

「おまえたちは、戦死するばかりが、ご奉公ではない。敵陣にはいることがむりだと思ったら帰ってこい。なにも恥ではない」

 佐藤良治さんは、いま、「隊長のあの時の訓示は、自分の部下を、むだには殺したくない、という気持ちだったと思う」と述べている。

 四人は防音のため、地下タビをはき、帯剣を腰にさした。その夜、照明弾もあがらず、砲弾も飛ばず、気味が悪いくらい静かだった。

四人は、大場中隊のようすを見ながら百メートルくらい前進した。そこに小さなごうがあったので佐藤、岡部両上等兵の組がはいり大場中隊の攻撃を待った。

突然、一発のえい光弾が大場中隊の上空にあがり、これを合図のように、数十発の照明弾が一斉に上がった。真っくらやみが、真昼のようになる。敵機関銃の猛射。米軍は、個人ごうにかくれていたのだ。大場中隊はふいをつかれた。彼我の激しい銃声が二、三十分つづき、急にやんだ。もとのやみと静けさにもどった。大場中隊は全滅した。もう少し交戦がつづいたら二人は戦車を攻撃しただろう。佐藤、岡部上等兵は小隊へ戻った。日原小隊長は、ふたりの生還をよろこび、帰らぬ富樫伍長、佐藤上等兵に涙をながして悲しんだ。

▽第二歩兵小隊名簿

(撫養富司さんの調査)

 前田留吉上等兵(美唄)木村博一等兵、岡部正雄上等兵、千葉三郎上等兵(夕張)吉田静雄一等兵(札幌豊平)斎田一雄一等兵(札幌月寒)吉田幸雄一等兵(増毛町)佐藤長治、斉藤正雄、桃野茂志一等兵、阿部正二兵長(以上出身地不明)葛西義次郎一等兵(日高静内)久保良雄一等兵(秩父別町)佐藤金之助上等兵(室蘭〇〇)高橋一夫一等兵(美唄)蔵田久雄一等兵(岩見沢)篠原秀雄上等兵(伊達)前田一郎上等兵(三笠)上野勝美一等兵(札幌)新出由三一等兵(雨竜郡北竜村〇〇)宮川博上等兵(札幌)村岡国一一等兵(歌志内)角田善吉上等兵(池田町)井芹良平一等兵(大連)吉田長吉一等兵(富良野)荒木良雄一等兵(不明)仲川春雄一等兵(室蘭)山田正寿一等兵(雨竜郡幌加内町〇〇)遠田今朝吉一等兵(山形)鈴木一久一等兵(静岡)▽沖縄出身生存者・二等兵=玉城、仲里、島袋、平、外間△同戦死者・二等兵=シガ(首里平町で戦死)シラド(国頭転進中、新垣の岩山で負傷、戦死と推定)カネヤス(首里北方一四六高地で)オーシロ(不明)ヤマグチ(安西伍長と同行して戦死)ドモン(国吉で)カカズ(山城で)

戦記係から

沖縄戦の遺族、遺児、生き残り、その他関係者など、ひろく沖縄にゆかりをもつ全道の人々によびかけ沖縄会を結成したいという有志の第一回打ち合わせ会が、十九日午後六時から札幌市北十四東一の北光区出張所(信用金庫鉄北支店うら)で開かれる。会費無料。

沖縄戦・きょうの暦

6月14日

 午前一時、太田実少将以下幕僚自決。日本軍の組織的抵抗おわる。

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