093ごう内の悲劇 かあさん泣くな 母を慰むひん死の子

 志田上等兵のいる病院ごうへ中隊の塚谷政三軍曹(石狩町〇〇)がやってきた。負傷兵を二人つれている。大槻蔵吉兵長(室蘭)と北畠上等兵(北海道)で、二人とも大たい部に負傷している。

 私(志田)は塚谷軍曹に声をかけた。

「班長殿、お願いがあります。自分を、安謝の小隊へ戻れるように、軍医殿にたのんでください」

 塚谷軍曹は、はじめ、私のたのみを聞きいれなかった。だが遂に根負けして軍医を案内した。軍医も、私を入院させなければならぬ、といい、小隊復帰を許可してくれなかった。私は熱心にたのみこんだ。その結果軍医は、仕方がないという顔をし、私は帰隊の許可をとった。

 安謝まで三キロの夜道を、照明弾の明りで歩き、小隊の洞穴にたどりついた。

 中へはいろうとしたとき、一発の銃声、と同時に女の泣き叫ぶ声がひびいた。私は不安にかられて、部落民でいっぱいの奥へ進んだ。塚田上等兵(北海道)横田上等兵、小田衛生一等兵らが、一人の子供を抱きかかえている。

 横田上等兵が十一年式軽機を手入れ中、あやまって一発暴発し、そばで見ていた子供三人を負傷させた―。一人は、ほおをうちぬかれ、一人は大たい部、一人は七つくらいの男の子で、腹部に盲貫銃創をうけ、死にそうになっていた。

 七つの子の母は、部落へ食事を作りに出かけていたが、戻ってきてこの変事を知った。気が狂ったように子供にしがみつき泣きわめく。なぐさめようもなかった。兵隊たちは、ぼんやり立っていた。

 小田衛生兵ひとりが子供を治療し、なんとかして命を助けようと努力していた。失神していた子供が、泣き叫ぶ母に正気つき、母の泣き顔をのぞきこんだ。

「おかあさん、泣くんじやないよ、あんまり泣くと、僕までかなしくなる・・・」

母は、こらえきれぬといった姿で、泣きくずれてしまった。父は召集をうけて外地へ出征し母と子の二人だけだという。

「・・・もし、この子が・・・死んだら、私も、死ぬ・・・」

 と、母親がいっていたが、間もなく子供は絶命した。死体は洞穴のそばの墓へ入れてやった。母親は、この子と一緒に死ぬ―といい、墓の前に両手をあわせてすわったまま動かない。みんなは、洞穴へはいることをすすめた。だが、いくら言っても聞きいれない。われわれは、母親をそのままにして洞穴へはいった。

 しばらくすると、母親が泣きながらはいってきた。

「敵のタマは意地がわるい。なんぼ待っていても、私のところに落ちない・・・」

 子供のあとを追って死ぬこともできない悲しみに泣きつづけていた。

 見かねた小田衛生兵が、母親の肩に手をかけ、「おばさん、泣くのをやめて、元気を出しなさい。きようから僕が、あなたの子供になりましよう。あの子がこれだけ大きくなったと思ってください。自分も母親がいないので、きようから、おかあさんとよびますから・・・」

 小田の発言に、部落の人々も兵隊たちも賛成した。母親は、はじめ信じられないふうだったが、小田のまじめな態度と、まごころにうたれ、泣きやんで、元気をとりもどした。

 ことの次第を見守っていたわれわれは、人が人を殺す戦争のさなか、子を失った母親と、母のいない子との感動的な結びつきに強く心をうたれた。

 それからこの母親は、小田衛生兵のそばを片時もはなれず、看護婦となって、私たち負傷者の治療に専念してくれていた。

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