095沖縄の女性 戦車の上に平然 神の加護を信じてか・・・

 前面にいる米軍の後方から一台のM4戦車が現われた。戦車の上に、和服姿の中年の女が腰をかけてのつている。日やけした沖縄の女だ。はだしの足を前になげだし、わが陣地を指でさし示しながら、戦車内の米兵にしきりに何か言っている。私(志田)は、腕時計を見た。午後二時になろうとしていた。突然、となりの銃座から軽機の乱射音、戦車は接近し、距離は五、六十メートル。タマが戦車に命中し、音をたてる。

 戦車鋼板には穴もあかない。塗料がはげる程度だ。戦車上の沖縄の女は、身をすくめてはいるが、タマはあたっていない。勇敢というか、バカにしているというか。私は激しい怒りを感じた。

 沖縄の屋根には、陶製のコマイヌが乗っており、道路には道の神の石クイが立っており、人里はなれた山野には、オガミ所がある。すべてシヤーマニズム(原始宗教)の遺産である。まださがせばいくらも原始宗教のなごりはあるだろうが、それらのものはだれでも簡単に見れる。

 古代の琉球では神につかえてまじないや、のろい、魔法を使う原始宗教のミコがいた。戦争をはじめるまえ、かならず敵味方のミコが、神術の技をきそって勝負を決めたという歴史がある。いまでもこの古事に起因する、つぎのようなことわざが残っている。

「イナダ・ヤ・イクサ・ノ・サチバイ―女はたたかいのさきがけ」

 女子義勇軍、女学生の看護婦、この戦車上の女性などすべて男顔まけの勇敢さを示すのはこういう伝統にたつものであろう。

 私は、腹をたてたり、感心したりで、マゴマゴしていたらしい。戦車砲が火をふき、一発二発・・・猛烈な砲撃をあびた。土砂と火薬の煙、激しいシヨック、混乱する意識

(となりの銃座が、つぶされた・・・)

 それだけはわかった。

「オイッ!横田、だいじようぶかッ!、横田・・・横田ッ!」

 いくら呼んでも戦友・横田上等兵の返事がない。私は、となりの銃座へ、はって行った。天井がきれいに落ちている。全然人かげがない。

(死線をなんども突破してきた戦友の横田。かわいそうに砲弾で吹き飛ばされたか・・・)

(よし、俺は右片腕一本しか使えないが、このかたきだけはきっととってやるぞ)

 私は、頭に血がのぼり、カッ・カッとあつくなっていた。自分の銃座へもどり、小銃を右手に持って、撃つべき目標をさがした。

 戦車と、その横に鋼鉄板がならんでいるだけで、米兵の姿はない。米兵は、鋼鉄板にあけた穴から自動小銃で射撃する。くやしいが、いかんともしがたい。

 米兵は、私たち日本軍が射撃しない―と見ると、戦車の横にならべてあった鋼鉄板を戦車の横腹に積み、米兵は戦車の後ろにかくれた。

 つぎに、戦車砲の威かく射撃をわが陣地にあびせながら左回転しはじめた。陣地の後方をふさぐつもりだな?。

 私は、不安になった。敵にそれをやられれば、ここにいるわれわれも部落民も全滅する。私は大槻兵長に相談した。

「だれか、元気のいい者を中隊へ連絡にやろう」

「みんな負傷者ばかりだ。行く者がいないぞ」

 北畠上等兵(本道出身、市町村不明)が名のりでた。彼に、現状報告と救援方をたのんで出発させた。間もなく敵の射撃がやんだ。四時になっていた。

(やれやれ、きようもこれでやっと終わりか・・・)

 私は、大きく深呼吸した。

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