121樫木大尉の手記(8)陣地占領 敵状を詳しく捜索 きり込み隊に潜状命令

 二十四日二時、部隊は現地に到着。樫木副官は、各隊につぎのように陣地占領を命じた。

 第二中隊(大山隊)と独立機関銃第三中隊は小波津周辺。第一中隊(斎藤隊)と第一機関銃一個小隊は安室西北側地区。第三中隊(工藤隊)と第一機関銃中隊主力は安室西側付近。

 大隊砲小隊は、一門を安室付近におき、主として北方に対して火力を準備する。一門は安室西北方におき、主として東方に対し火力を準備する。連隊砲(三好隊)は、安室東側地区において、主として東北方に対して火力を準備し、状況によっては翁長方面も射撃できるように準備する。〈以上命令〉

 各隊は、予定のとおり午前四時までに陣地占領を終えた。大隊本部は、安室の西方二百メートルの高地に位置した。将校斥候を二十三日夕刻出発させたが、その報告を総合すると、敵情は、つぎのとおりである。

一、わが陣地前面の掛保久付近に歩兵第二十二連隊の一個小隊が、前進陣地を占領している。二十三日には、小橋川北側台地に敵の一部が侵入した。棚原北側一五四・九にも敵が潜入している。

二、ウシクンダ原には、敵戦車十、歩兵四、五百が陣地を占領している。同野原の西方五百の一○一・三には敵が潜入している。

三、上原北側に敵戦車二十、上原に歩兵約二千が潜入した。

四、和宇慶北側に、敵が組み立て兵舎を構築してある。

五、東海岸線の敵は、警戒がゆるやかで侵入は比較的に容易である。

 伊東大隊は師団直轄となったので、師団通信一個分隊を配属され、同時に、部隊からは通信一個分隊(長・萩生中隊の今泉恒彦伍長=千歳出身)と無線機を配属された。そこですぐ、北郷部隊長あてに陣地占領の報告をした。(有線は砲弾で切断され、使用できるのは、無線機だけ)

一、部隊は電報第二十号の如く、本二十四日四時現地に到着配備を完了する。

二、部隊の二十二日出発後の損害、死傷十。

三、師団長に右連絡ねがいたい。

 十四時、連隊本部からの無線で、小波津にいた高射砲一門の新規配属をうけた。そこで、十五時各隊に徹底のため命令を出した。

一、部隊はますます防御組織を強化し、敵を陣前に破摧(さい)するとともに師団主力攻勢のしとうたらんとす。

二、諸隊は捜索警戒に努むるとともに、すみやかに陣地を完成し、天明よりの戦闘準備に万全を期すべし。二十四日後半夜以降の警戒を特に至厳ならしむべし。

三、第二中隊は小橋川および津花波北側台上に歩兵半個小隊機関銃二の前進陣地を占領。陣地占領に当たっては、第二十二連隊の一個小隊との連絡を密ならしむべし。

 前進陣地占領の時期は、本夜とし二十四時までに配備を完了すべし。右部隊は爾今(じこん)大隊長直轄とし、撤収の時機は別命する。

四、第一中隊より本夜、下士官以下三名の斬り込み隊を一○一・三付近に潜伏せしめ敵有力部隊の進出にともない、敵を求めて攻撃せしむべし。

 また本夜将校斥候長以下三人を派遣し、第二十二連隊の一個小隊と連絡のうえ、ウシクンダ原付近一○一・三付近の敵情を捜索すべし。帰還時機は明二十五日天明までとす。

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