長浜上等兵が金城一等兵をなぐさめているとき、荒木上等兵が泣き顔で走ってきた。
「中隊指揮班が全滅したらしいぞ・・・」
後方を見れば煙がたちのぼっている。やられたか―指揮者をつぎつぎに失い、兵隊は個人戦闘を展開中だ。木口恒好中隊長(四国出身、当時二十四歳)は、敵から自動小銃をうばい、それを持って味方もおじけつくような勇敢さで戦っている。
後送される負傷兵には、そのひとりひとりを「よくやった、よくやった」となぐさめ、はげましていた。負傷兵は「残念だッ!残念です・・・」とくやし泣きに泣きむせび、後送をいやがっていた。
中田栄一一等兵(函館)は、中隊ただひとりの志願兵で二十一歳。小柄で、童顔の彼を、みんなは〝ボーヤ〟の愛称でよんでいた。父がなく、姉と妹の三人きようだいだ―といっていたが、小銃弾で肩をやられた。出血がひどく、死が目前に迫っていた。中田一等兵は泣きながら
「かあさん・・・かあさん、栄一は、かあさんに孝行をしないで死んでゆく・・・」と、絶命するまで、母を恋しがり、遂に赤ん坊が泣き寝入りするように死んでいった。
この日(五月一日)の戦死者は、ほかに荒木由蔵上等兵(増毛)川上芳高上等兵(八雲)川島三千雄上等兵(北海道)岩谷光国一等兵(手稲)鈴木幸一上等兵(長万部)杉本保上等兵(北海道)田中ゼンキ一等兵(八雲)佐々木次郎上等兵(松前)加藤健治上等兵(函館)
五月二日、きのう、中隊指揮班が戦車攻撃をうけ全滅した―との報告は、調査の結果、敵戦車をわが工兵隊が肉薄攻撃でカク座炎上させた煙とわかり、わが軍健在の士気があがった。
小隊長、分隊長は、ほとんど戦死しあるいは負傷し、生きている兵隊もみんな負傷している。それでも戦闘を続けていた。
午後一時ごろ、敵の攻撃が、ふたたび激しくなった。
「第二小隊から斥候一人をだせ」
と命令がきた。第二小隊―といっても、生きているのは六、七人。敵を撃ちまくっていた長浜上等兵が決然と立ちあがった。戦友の浜野、小間上等兵がとめた。長浜上等兵は両足に負傷し、出血がひどい。無理は、長浜本人が承知していた。
だが、のむ水も、たべる食物もない。それにくわえて連日不眠不休の戦闘で気がおかしくなっていた。片手に小銃、片手にはゲートルをぶらさげて出発した。(ゲートルをなんのために持って出たのか。止血のためであったか、それとも、自分のものだから所持したのか、いま考えて、当時の心境がわからない―と手記にかいている)
小銃弾が音をたてて、しきりに長浜上等兵の耳もとをかすめる。だがおそろしいとも、生きたい―とも思わなくなっていた。
四十メートルくらい進んだ。雑草が、ほんの二、三本。気やすめだが、そのかげに身をかくし、立てひざの姿勢で敵状をうかがった。
三十メートルくらい前方の林へ、米兵四人が走りこむのが見えた。前後の考えもなく手りゆう弾の安全せんをぬき、走る敵兵めがけて投げつけた。
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