129ねえさん〝助けて〟 死の迫った上等兵 思い浮かぶ肉親の顔

 米兵が、また一人、走ってきた。長浜上等兵は小銃で撃った。命中させる自信は全然ない。敵を倒す―そのあせりだけだ。体力も精神力も、戦闘をつづけるにたる生命力を欠き、気違いのようだ。

 また一人、走ってくる。撃つ。気持ちがうわずっている。ますます、あたらない。三発目を発射しようと指に力をこめた瞬間、背後から、こんぼうでうちのめされたような激痛。目がくらみ、あおむけにひっくりかえった。

 左手首から鮮血が泉のようにわき出る。小銃は二メートルほどさきに飛ばされている。銃を取りたいにも、腰があがらない。

敵がくる―三年兵にもなって、銃を手からはなして死んでいたら、歩兵の恥だ―はいずって行って銃を握った。残りの手りゆう弾の安全せんをぬく。敵がきたら投げてやろう―またの間がヌルヌルする。手をやった。両またにひどい傷。ズボンの前のほうは穴だらけ。腰に力がはいらない。死の気配が迫ってくる。戦死した戦友たちはみんな、こんな気持ちで死んでいったに違いない。

さびしい。たまらなくさびしい―

〈ねえさん、助けてくれ〉

幼くして両親を失った長浜上等兵は、姉を親がわりにして育った。いまわのときに、心から姉に救いをもとめた。

生きたい。重傷者が、母に救いを求め、妻や子に思いをはせる気持ちが、いまわかった。

生きよう、なんとかして生きつづけよう―身もだえた。腰がグラッと動く。これなら歩けるぞ―自信がわく。銃を片手に、力をこめて立ちあがった。

虫のはうような歩み。それでも歩きつづける。わずか四十メートルが、四キロほどにも感じられる。

磯畑軍曹が殺気ばしった顔で走ってきた。やっと、陣地にたどりついていた。

「敵は?・・・敵はどっちだッ!」

ものがいえない。長浜上等兵は、敵のいる方向を指さすのがやっとだ。同年兵の小間、浜野上等兵が悲しげな顔でのぞきこむ。

「どうだ?・・・傷は、苦しいか・・・」

二人は傷ついた戦友を抱きかかえ、ごうへ運びこんだ。すぐ、両またの傷を調べ、手当てをする。ひどい傷だ。血がとまらない。どちらからともなくしやくりあげ、遂に二人とも、声をはりあげて泣きだした。

〈このままでは長浜は死ぬ。しかし、自殺だけはふせいでやろう〉

二人は、小銃、タマ、手りゆう弾をとりあげ、

「死ぬなよ」「死ぬなッ!」

なかば失神状態の耳元に口をつけ、祈りをこめて叫んだ。

 この夜おそく、長浜上等兵は後送された。残った小間、浜野上等兵はじめ木口中隊長以下三十数人は、全員戦死するまでここを一歩も後退しなかった。

 四月二日、三日の戦死者。

 岩崎軍曹(手稲)川村武夫上等兵(函館)荒井上等兵(長万部)笹沼兵三一等兵(北海道)戸沢正男伍長(長万部・片足に重傷をうけ、歩行困難となり、手ぬぐいで首をくくって自決)白戸幸太郎一等兵(奥尻)=以下北海道だが出身町村不明=佐藤正男上等兵、木村上等兵、船田米男上等兵、高橋光男一等兵、中井勇一等兵。

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