152ここは沖縄! 函館で療養するんだ…… 脳症起こす美青年

 五月中旬から衛生材料は、リバノールと包帯だけ。苦痛をひどく訴える者は、モルヒネ注射で眠らせた。食料もなくなった。親部隊の富盛野病から夜間、カマスいりの米や、箱いりのカンパンをかついで運ぶ。雑役婦たちが三カ所にすえつけた大ガマで早朝から夜おそくまでめしをたき、にぎりめしにしてミソや塩をつけ、女子青年団員や女学生たちが患者にくばった。

 藤沢軍曹は、同年兵の佐藤和正衛生上等兵(函館・山三四七四部隊歩兵砲中隊付)が、伝染病室にはいった―と聞き、第一号病室じゅうをさがした。

 患者がごろごろならんで寝ている。そのいちばん奥に、チアノーゼ症状(死はん(班)が顔に現われヒン(瀕)死の状態)の佐藤上等兵がうつろな目付きで横たわっていた。かつては、まるまるとふとった美青年であったが、いまは、みるかげもなくやせおとろえている。腸チフスの重体患者だ。

「おい、佐藤、俺だ。わかるか?」

 軍曹は、かわりはてた戦友の寝姿に胸いっぱいになった。

「うん・・・わからん。だれだ?」

 うつろな返事。様子がおかしい「藤沢だ。わかるかッ・・・、しっかりしろ、佐藤ッ!」

 軍曹は、ならんで寝ている患者のうえに腹ばいになり、両腕で自分の体重をささえて戦友の顔をのぞきこんだ。

「ああ、藤沢班長殿ですか…俺はなあ、腸チフスになってなあ、相当重体だから、いま函館にかえって療養しているんだ」

(脳症を起こしている。もう、長くはもたないなあ―)軍曹は友の死を直感して叫んだ。

「おい、佐藤ッ、しっかりしろ! ここは沖縄だぞ!」

 とたんに、頭上で異様な大音響。そして、軍曹は意識を失った。

 遠く、小さく、女の悲鳴――

「だれかきてーッ、だれかきてーッ」

 ぼんやりかすむ視線に、女の泣き顔。軍曹は、ハッと気がつき、前を見た。等身大の岩がある。起きあがろうとした。からだがうごかない。

 背中から両足にかけ、岩でおさえつけられている自分を知った。

(ははあ、女がさわいでいるのはこれか…)はじめて、軍曹の頭脳が一回転した。と同時に二回転。(両足を骨折したな?)

 不安がわく。走ってきた衛生兵が、しきりに岩を動かそうと押したり、ひいたりするがだめだ。軍曹は、頭から顔へ流れてくるものを手でぬぐった。血―

 また、二、三人衛生兵が走ってきた。みんなで押した。岩がすこし動いた。軍曹は、おそるおそる右足をうごかしてみた。痛くない。左足も。思いきって、両足を岩から引きぬいた。くつのぬげるのもかまわないで立ちあがると腰が痛んだ。歩いて手術室へ行き、頭部の傷をぬってもらった。五百キロ爆弾を投下されたことがわかった。佐藤上等兵は、あの岩の落盤で即死した。

戦記係から

 北海道沖縄会(西条会長=札幌北〇〇電話〇〇)は、いま会員名簿を作成中。会費納入の会員に九月中旬までに送付の見込み。なお、連絡所を札幌市〇〇武田弓道具店、〇〇大学荘、〇〇栗賀方に設けた。近く会報(半年分一千二百円、送料込み)を発行、戦場で結ばれた戦友愛をうけつぎ、会員間の親ぼくをはかり、二十世紀の大戦であった沖縄戦の内容と意味を明確にするために戦況、各部隊、戦死者生還者の調査、研究を行ない、沖縄はじめ会員間の情報交換をはかることになった。会報希望者は前記〇〇、栗賀連絡所あて、誌代同封の封書で九月二十日までに申し込むこと。(電話番がいないので問い合わせには応じられません)

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