六月上旬のその日、雲一つない夕焼け空があざやかだった。新城部落の木のしげみから、突然、軽い銃声がひびいた。妙にさえた、聞きなれない銃声―たぶん、澄んだたそがれ空のせいだろうと藤沢軍曹は思った。
あたりを見回した。しーんと静まりかえっている。艦砲弾も飛んでこない。
これが、いままでのすべてに結末をつける最悪の日の幕あきだったのである。
何千人ともしれない、新城部落の大勢の村人が、われさきにと、うしおのようにドウクツから走り出てきた。村人たちがいたドウクツの入り口は、まるでアリのすをつついたようなさわぎ。頭に食糧品や貴重品をのせて走るのは女。てんびんでかついで走るのは男。親も子もちりぢりばらばら、大あわてに、あわてふためき悲鳴、泣き声をあげて逃げまどう。
彼らの頭上を敵観測機が超低空で飛ぶ。
「敵がきたッ! 二百メートルのところまできているぞッ!」
泣き声。叫び。どなり声―大勢の村人が具志頭(ぐしちゃん)方面へ向かい、なだれをうって走る。走る―
その道は、藤沢軍曹らのいる新城野病のドウクツのうえを通っていた。みんなは、どんどん野病のうえを駆けぬける。軍曹は、あわてふためく村人の洪水にぼう然としていたが、やがて、付近のもと山三四七六部隊の陣地に、兵隊たちの姿が見えないのに気がついた。
〈野戦病院だけがとり残されたのか―〉
見ると、軍医が軽傷者にカンパンを一袋ずつ手渡し「どこの部隊でもいい、友軍のいるところへ早く行けッ!」
と絶叫している。腕や上半身に軽い負傷の兵隊たちは、村人のむれにくわわり、薄暗く見える八重岳方向に南下してゆく。
看護婦、県立第二高女生、女子青年団員、防衛招集兵、韓国人らは、富盛野病に後退、その指揮をうけるよう命令がでた。
第一号病室の出口に送られる者、残る衛生兵らが、向きあって整列した。両方とも無言―
〈みじかい期間ではあったが一千人以上の負傷者の治療に、給食に、たがいにはげましあって、きょうまで必死の活躍をつづけてきた。よくやった、戦友たちよ。おそらく、きょうかぎり再会の日はないだろう。さようなら…さようなら…〉
藤沢軍曹は、胸のなかで絶叫した。みんなも同じ思い―それは声のない気配で感じられたが看護婦のなかから、静かな声がひびいた。
「さようなら…」
胸いっぱいの思いをこめながらも、その声はすずしいような浄化しきった声だった。
「さようなら」
衛生兵のだれかが答えた。
〈いわんとすることは、よくわかっている…〉
おたがいに、えがおをうかべたまま、視線をじっと向けあっていた。
防招兵、韓国人につづいて、ふりかえりふりかえり、看護婦、県立高女生、女子青年団員らの姿がドウクツから外へ、そしてうすもやのなかにとけ込んでいった。
筆にするのもおそろしいようなことが、はじまったのは、それからだった…。
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