布施伍長ら三人のうしろ姿を見ながら、伊坂兵長は、おのれの心の声を聞いた。
〈負傷者といえど、動ける者は隊員ではないか…なぜ、行かぬ〉
すぐ兵長は、中村上等兵、フチヤクキンプク一等兵をひきつれ交通ゴウを走った。
しばらく行くと、意外なことに、むこうから赤星一等兵が駆け戻ってくる。
「どうしたッ?」
兵長がたずねた。
「班長殿が…」
あとは声にならない。赤星一等兵がなにを言おうとしているのかわからない。
「どこだッ!」
兵長は気がせくまま、赤星一等兵をかきのけて敵陣のほうへ走った。二十メートルほどきたところで、兵長は、ギョッとして棒立ちになった。
交通ゴウにあぐらをかいてすわっているのは布施伍長だが、その両眼は飛び出し、顔面から腕にかけて一面血潮にぬれ、なにがなんだかわからないほどの重傷である。
「…………」
伍長が何か言おうとして、口からパフパフ血をふき出す。真ッ白な軍手をはめた右手が、ちぎれそうになってぶらさがっている。
〈だめだ…〉
伊坂兵長は、布施伍長の戦死を即断した。が
「班長、いますぐ担架がくるぞッ!」
と声をかけ、伍長の肩を飛び越えて敵のいる方向へ進んだ。戦闘のウズ―そのなかへ、みずから飛び込むことによって、この怒り、悲しみを忘れたかった。
がけ下の交通ゴウに出た。突然、がけの上から、一斉に手りゅう弾を投げつけられた。
〈敵の野郎、やりやがったなあ…〉
兵長は、手りゅう弾をにぎりしめた。だが、
〈まて、まて、上に向って投げても、うまくあたらない。それより、早くあのゴウへ飛び込め〉
かたわらにゴウを見つけ、そこへ飛び込んだ。つづいて、中村、フチヤクが飛びこんできた。見れば、ゴウの中は野砲隊の負傷者ばかり。
「敵が、このゴウの上にきているぞ!」
兵長が叫んだ。負傷者のなかから叫ぶ者がいた。
「カンパンの箱を入り口に積めッ!」
「よし、俺がやる」
だれかが答える。あわただしく応戦準備。
「おい、みんな、手りゅう弾を持っていたら、くれてくれッ!」
兵長が北海道弁で叫けぶ。入り口に、チラッと鬼のような敵兵の顔。自動小銃の銃口が向いた。兵長は手りゅう弾を投げた。サク裂。敵は撃ってこない。ゴウ内は、奥行きが五、六メートルしかないから、手りゅう弾を二、三発投げこまれれば全滅だ。
「敵の手りゅう弾は、一発も中へ入れるな。負傷兵を守れッ!」
伊坂兵長は、中村、フチヤクの戦友に命じ、死角(敵の攻撃のおよばない安全な場所)に身をひそめ、敵が近づくのを待ちかまえた。
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