夜間切り込みは、各部隊共通の戦闘法だった。山三四八三部隊(輜重兵第二十四連隊・長・中村卯之助大佐)でもやっていたが、その夜襲用日本刀は自動車のスプリングを材料に、野外で戦友たちが機銃掃射で倒れるなかで作られた。
作った人は空知郡山部出身のカジ職人玉手上等兵。兵隊間で刀カジの名人だ正宗の名刀より切れる―と有名だったが、五月中旬、東風平の南の地点でグラマン機の機銃弾をうけて戦死した。同じころ井林上等兵(北見)も機銃掃射で戦死した。このころから輜重隊の戦死者は続出するようになった。
杢大(もくだい)弘伍長(帯広市〇〇)は、長谷川上等兵ほか一人と、司令部と部隊間の連絡任務についていたが、八重瀬岳と富盛の中間地点で迫撃砲の猛射をうけた。長谷川上等兵は左腕を負傷して倒れた。
伍長は無きずだったが、鼓膜がやぶれたようで、耳なりがし頭のなかで、ベルがなりつづけるようだった。それでも、三角布で長谷川上等兵の傷をしばり、背負って陣地への道をいそいだ。頭上に敵機が飛来。ドラムカンのようなものを落とした。
大爆音。伍長らはふきとばされ、からだのうえに土、石が落ちてくる。ぐったり倒れている上等兵を穴へひきずりこんだ。
〈死んでいる……しかし、腕のきずぐらいで死ぬものだろうか!〉
上等兵のからだをしらべた。右腕からはいった破片は背中をえぐっていた。
〈かわいそうに……埋葬してやろう〉
穴から出てみると、爆弾の落ちたところに、トラックなら二、三台もはいれるような大穴があいていた。
〈すごい爆弾を落とすものだ……〉
山三四八○部隊(野砲兵第四十二連隊)の西条幸一兵長(札幌市〇〇)も、この百五十キロ爆弾を至近距離でうけた。兵長らは、すぐ穴のなかへかくれたが、地上にあった大正四年製造の十五りゆ弾砲(重量約一・二トン)は爆風をうけて、ひっくりかえった―と語っている。
迫撃砲もすごい。半径五百メートルくらいの地域に百数十発が一挙に落下。手足や目をやられた兵隊が、戦友の名をよびながら死んでゆくむごたらしく、あわれな光景を、かって杢大伍長は目の前に見ている。
長谷川上等兵を埋葬しながら
〈死ぬならば負傷せずに、ひとおもいに死にたい―〉
そう思った。小渊中尉は、負傷者、戦死者が数をますなかで鉄帽もかぶらずに第一線を飛びまわっていた。伍長は、鉄帽をかぶってはどうですか―と中尉に進言したことがある。
「死ぬときは、なにを身につけていてもおなじことだ…」
そのことばどおり、壮烈な戦死をとげた。
堀尾軍曹は、みぞおちに砲弾の破片をいれたまま、とりだす時間がなくて戦闘を継続していた。
「おい、なんとかして取ってもらえよ」
伍長は、他人のことながら気になって注意した。
軍曹は、生死を超越した態度だった。元気のいい入鍬軍曹(函館)は、私物の軍刀を腰に最前線をとびまわっていたが戦死し、伍長は火の消えたようなさびしさを感じた。
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