午前十時ころ島袋二等兵が、苦しそうに顔をゆがめ、がまんできない―といった声と様子で
「あの、用便がしたい」という。この砲弾のなか、そとにでてやるわけにはいかない。
〈いっしょに死のうとちかいあった戦友じゃないか。少々は、くさいだろうが、このなかでやらせてやれ〉
杢大伍長は、自分にいいきかせた。
「このなかでやれ」
笑うどころでない。深刻な顔で、二等兵の用便がすむのを伍長と一等兵が待つ。
〈人間だもの、クソもしたくなる。戦友だもの、がまんしてやるのがあたりまえだ…、しかしくさいな…〉そんなことを考えているうちに、用便が終わった。
数分後、すがすがしい顔になった島袋二等兵の緊張した声―。
「道路の下から、だれかあがってくるッ! 声がきこえてきますッ!」
伍長は、耳をすました。直感的に敵兵を感ずる。
〈これア、みな殺しだ…〉
緊張感が全身を走る。息をのむ三人のすぐ一メートル前に、まっ赤に日やけした上半身はだかの大男が立って、穴をのぞいた。
〈変なくつをはいているなあ…〉その時、伍長の胸中をかすめた感想―ほかにはなにも考えがうかばない。米兵が肩から自動小銃をおろし、こちらをねらって発射するのを、ぼんやり見ていた。
激しい発射音。銃弾が伍長の耳もと、肩のうえをかすめて飛ぶ。敵兵は二人。めくらうちに撃つ。撃ちながら手りゅう弾を目の前になげてよこした。
にぎりこぶし大の敵の手りゅう弾は、七、八秒で爆発する。それを知っていた。
〈ひろって投げかえしてやろうか?〉
が、伍長は瞬間的に思いとどまった。
〈いや、そんなことをしても、どうせ、また投げてよこす。むだだ。三人いっしょに死のう。これが最後…〉
手りゅう弾サク裂。音のすさまじさに、意識がまっしろになる。
白紙の意識―それがフワフワと中天から羽根のように舞いおり、ゆっくり地面についた。米兵は殺したと思ったらしい。去ってゆくうしろ姿が遠く見え、消えた。
伍長は、からだじゅうをたしかめた。どこにもけがをしていない。島袋二等兵も、とび込んできた一等兵も―
〈三人とも無事だ…〉
「ふしぎだなあ、どこもやられていないぞ!」
伍長はふたりの顔をみた。
「班長殿、軍刀が…」島袋二等兵にいわれてみると、支給された九五式軍刀が中央部から折れている。
〈うん、この軍刀が身がわりになってくれたのか…〉
折れた軍刀に頭をさげたい気持ちになった。
〈この軍刀は、おれの身がわりだ。この穴を出るとき、ここへうめてゆこう…〉
伍長は心にきめ、三人で夜になるのを待った。あつい。のどがかわく。きゅうくつだ。
〈水がのみたい。あの米須のゴウのなかには水があった。これから摩文仁へはとても行けそうにもない。米須へもどって水を腹いっぱいのみさえしたら、もう、あとはどうなってもいい…〉
杢大伍長は、カラカラにかわくのどを右手でなぜた。ふと自決の衝動が脳裏をかすめる。
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