209無名戦士 要領読まれた攻撃 将校の無策に散る

 暁兵団から五十人、三十人とたびたび救援がやってきたが、その指揮官たちも死の恐怖にかられ、任務をまっとうしなかった。

 平野大隊長や川口副官は、戦場慣れしていない彼等に、戦闘にはいるまえ、何度もこまかい注意をあたえた。

〈はじめ敵は、迫撃砲やロケット砲をさかんに撃ってくる。つづいて敵戦車が陣地の下へ進み、敵歩兵部隊があとについて進攻してくる。その距離は約六十メートル。敵はピストルと手りゆう弾を使って攻めてくる。日本兵は体力的に劣っているので三十メートルくらいしか、手りゆう弾を投げられないが、敵は、六十メートルくらい投げる。大事なことは、敵がいくら手りゆう弾を投げても、六十メートルから三十メートルの距離に接近するのをじっと待ち、攻撃をかけることだ〉

 経験上から大隊長や副官は、暁兵団救援部隊の指揮官に米兵の攻撃方法と、それにたいする応戦の要領を教える。ところが指揮官たちは、敵が近づくと兵に着剣を命じ、五十メートルほど攻めてくると、どの指揮官も刀をかざして立ち上がり

「突撃に前へッ!」

 を号令し、全員いっせいに散兵ゴウやタコツボから飛びだし十メートルとは走らないうちに全員やられてしまう。

 米軍は、日本軍のこの一世紀前の戦闘要領を研究しつくしているので、手りゆう弾をあちこちに投げて散兵ゴウの日本兵に誘いかける。それを知らずに突撃にうつるから、何度やっても効果はあがらない。

 前に述べた腰ぬけ将校やこの血気の勇気にはやり狂乱する将校、敵を知り、おのれを知り、いかに戦うべきかを考えない将校などのために、無意味に死地においやられて死んでいった兵がいかに多かったことか―大勢の無名戦士のことを思うと胸ぐるしくなる。

 ひとくちに戦争の犠牲というが、事実は単純なことではなくまた、こんなことは、戦争の場合だけにかぎられたわけではないだろう。

 戦後、収容所にはいってから耳にしたことだが、慶良間列島の一つの島の隊長(少佐)は、食料保存のためという名目で、兵隊にはサツマ芋の葉が八、九割、米一、二割のカユをたべさせ、自分はごちそうをたべ、酒と女におぼれていた。

 彼は兵にたいしては軍規厳正で、サツマ芋の葉を一枚ぬすんだ―という理由で一人の兵隊を銃殺した。また、島民のほとんどを死なせ、自分は戦後、米軍に降伏して生きのびた。

 その他、仮病をつかって切り込み隊の指揮官をのがれた者、ゴウを掘ってかくれている住民を、スパイの悪名をきせておどし、自分たちがはいるために追い出したもの。

 ならべればきりのない悪業のかずかずが「鉄の暴風」(現地人による沖縄戦記・沖縄タイムス社編)や「秘録・沖縄戦史」(山川泰邦著・沖縄グラフ社発行)などに具体的に書き残されてある。

 地獄に追いこまれた動物・人間が地獄の所業を演じた―いまさら二十年前の悪夢を思い出さなくてもよいのだが・・・と、あやめさんは書いているが、戦争の悪を書けば際限がないだろう。

 つぎに書く、小銃の話と女学生の話は、ともに戦争のうずのなかにありながら、悪夢として忘れ去りたいことと、崇高な記録として永遠に忘れてはならないことに、はっきり区別される、それぞれ独自のエピソードである。

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