210小銃・女学生 使用不能の銃に泣く 海で自決した乙女たち

 日本軍の飛行機は、事故続出で、飛行士の命を失うし、小銃の性能もよくなかった。その小銃をもって、一日五十発以上を約一カ月間(一千五百発以上)特に四月二十四日から五月二日までは、少なくとも一日百発以上を撃ちつづけたから、二千発は撃った。暗いゴウ内で、油を銃口から流しこむだけの手入れ。分解掃除は一度もできなかった。

 五月十日以降、敵の攻撃は息つくひまもないほどの激しさ。そのなかを女子挺身隊が命がけで九九式の新銃二、三十丁と、小銃弾二箱、にぎりめしを運んできた。

 全員、こおどりしてよろこぶ。新しい小銃を手にすると、敵の砲銃弾が、おそろしくなくなるからふしぎだ。前日から生サツマ芋を少々たべたきりなのにだれも、にぎりめしを食べようとしない。ちようど子供が、ほしくてたまらないおもちやを買ってもらったときのようだ。

 頭上に照明弾が五、六発あがっている。胸をわくわくさせながら、照明弾を標的がわりに試験することになった。

 小銃のコウカンが四角だ。タマつめをするときと、撃ちがらとなった薬きようを外へつまみだすときににぎるコウカンは、まるいものとばかり思っていた。兵隊たちは、グラインダーをかけていない四角なコウカンで手を切った。

〈いま国内では、あれもたりない。これもないという耐乏生活をしているのだ。四角なコウカンもがまんしなければならない〉

 あやめ伍長は、そう思った。発射―反動が大きく肩の骨がくだけそう。コウカンをうごかし撃ちガラ薬きようをだそうとしたが出てこない。

「班長ッ!この小銃は使えませんッ!」

 兵隊が腹立たしそうにどなる。見ると、兵隊たちは九九式歩兵銃を、地面にたたきつけたり、踏み折ったりしていた。

 あやめ伍長は試射した自分の小銃を調べた。銃身がさけている。

 ゴウ内から、使っていた古い小銃を持ちだし、いま運んできたタマを撃ってみる。コウカンをおこしても、やっぱり、薬きようが飛びででこない。いろいろやってみたが薬きようはメッキでもしてあるのか、焼きついていた。

〈食うかくわれるかの激戦のさいちゆう、こんな小銃やタマを送ってよこすとは、あきれてものがいえない〉

 いま飛んでゆけるものなら、こんなものを作った工場の責任者、監督官の将校を、この小銃でなぐり殺してやりたいような怒りをおぼえた。

 日本軍の敗戦が決定的となった六月二十四、五日ころ、摩文仁の海に面した断崖は、軍人、地方人でごったがえしだった。海上から米軍の魚雷艇に乗った日本兵が、さかんに降伏をよびかけていた。

 夕日が空を真っ赤にいろどっていた。どこからともなく「予科練の歌」〝若き血潮の予科練の・・・〟合唱がひびき、五人組と七人組の女学生が、それぞれ手をつなぎ、一列横隊のゆっくりした足どりで、満ちはじめた海を、沖へ向かって進んでいった。

 沖合い二百メートルくらいのところで二組は輪になり、美しいメロディーで校歌を合唱していた。海水は彼女たちの胸のへんまでひたしていた。歌い終え「天皇陛下万歳」をとなえた。同時に爆発音がひびいた。

 少女たちの姿は海中に消えた。血のような夕空と女学生たちの歌声―あやめ伍長は、この光景を生涯忘れることができない―と書いている。

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