志村大隊長は、米軍のトラックをぶんどり、これに乗って国頭郡へ脱出する―といいだした。大隊長命令である。反対するわけにはいかなかった。
撫養兵長らは毎晩新垣部落の道路上で米軍トラックの通過を待ちぶせした。
雨の夜も風の夜も、道路わきにふせて車を待った。手りゆう弾を投げれば車がこわれ、小銃で撃てば逃げてしまう。ぶんどることができない。
米軍はトラックに機関銃をつみ、兵長らの待ちぶせ個所にさしかかると、猛射しながら通過してゆく。
その夜は大雨が降っていた。全身ずぶぬれの撫養兵長は、部下ふたりと畑にふせてトラックの通るのを待っていた。トラックはぶんどれない―そう思いながらも、命令である。やめるわけにはいかなかった。
突然、真ッくらな夜空に、沖縄全島からいっせいに小銃、大砲が撃ちあげられ、夜空があかるくなった。
「なんだろう?」兵長は目を見張って夜空を見上げた。
「班長殿、きっと友軍が、沖縄へ応援にきてくれたんですよ。それで敵があわてているんじやないですか」
部下はうれしそうだ。そういわれてみれば、かつてないことである。しきりに、夜空へタマが撃ちあげられている。
〈あるいは、友軍機が大編隊を組んでやってきたのかもしれない〉
兵長は、目をこらして夜空を見渡した。どこにも機影はみあたらないし、爆音もきこえてこない。
〈救援どころか、反対に、われわれ敗残兵に対する一大掃蕩戦(しらみつぶしに攻撃すること)がはじまる、その合図かもしれないぞ?〉
兵長は急に恐ろしくなり、急いでゴウへもどった。だが心配でならない。ゴウの戦友たちも、不安そうな顔をしているだけだった。(あとでこれが八月十五日の終戦を祝う米軍の祝砲だったことを知った)
翌日から、のぞき見る米兵の態度は落ち着いて、のびのびと明朗になった。しかし、ゴウの攻撃は、相変わらずやめない。
志村大隊長は撫養兵長を信用し、ゴウの入り口に立つ歩しよう(哨)を一任し、食料さがしは、ほかの兵隊にさせていた。兵長は破傷風のため、口がこわばり、食物もとれないし、ものもいえない。それでも大隊長は歩哨を交代させない。
〈信用もこうなるとありがためいわく。叫ぶこともできないのに、どうしろというんだ〉
兵長は、戦友の河野、佐藤良治上等兵から食事をさせてもらいながら、大隊長をうらんだ。戦友たちは食料を水にとかし、口をこじあけてのませてくれた。兵長は、この戦友愛には感謝した。そのおかげで、一週間くらいすると、口があくようになり、破傷風はなおってしまった。
敗残兵として夜ばかり行動するので、真っくらい夜でも、みんな百メートルくらいさきまで目が見えるようになっていた。それぞれぶんどってきた品物をならべて自慢しあうことがたのしみになっていた。
弾薬を、それとは知らずに運んできて捨て場に困ったり、重いのをがまんして運んだのが自動車の潤滑油であったり―むだ骨折りもしたが、敗残兵としてはスリルと実益をかねた「戦闘」でもあった。
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