山の下に敵の自動車修理工場があった。その炊事場へ高橋禎一等兵と撫養兵長は食糧をぬすみに行って攻撃をうけ、命からがら逃げ帰った。それからは大胆な食糧あさりをやめた。
米軍のゴミ捨て場にも食糧になるものはあったし、山羊の生肉も、ミソをつけてくえば、うまいものだった。
米兵もまた、日本兵が残していったものをさがしにゴウへはいってくるようになった。ピストルを持った大男が腰をかがめてもぐりこんでくるところを一発撃つと、簡単にのびてしまう。すばやく米兵のピストル、時計、軍服をぶんどり、裸にしてゴウの外へ捨てる。ドロボウごっこのようなものだ。
そのうちに意外なことがおこった。からだじゆうにわいていたシラミが一匹もいなくなったのである。
「人間が死ぬまえに、シラミがいなくなる」
という者がおり、気味わるく思っていた。
一週間ほどすると、また、ふしぎなことがあった。いままで見たこともない郷里の家族の夢を見て、撫養兵長はいよいよ死神到来と思いこんでしまった。
ゴウの入り口に米兵がやってきて、日本語でよびかけた。「戦争は終わった。みなさん、早くゴウからでてきてください」
信じられなかった。米兵は翌日もきた。つぎにきたのは日本兵で、熱心にゴウからでるようにすすめる。半信半疑で、高田少尉を代表として送った。
少尉は、つぎの日帰ってきた。兵隊の前をだまって通り、大隊長に報告していたが、やがて志村大隊長から、八月十五日日本軍が無条件降伏した―と伝えられた。
泣く者、ぼんやり立っている者、ほっとした表情の者など。しかし、全員ゴウから出ることに決まった。
ゴウから武器を全部持ってでるようにいわれた。だが、日本の敗戦がデマなら、このゴウへもどってふたたび、たたかおうと、使えるピストル、日本刀、小銃、手りゆう弾を紙につつみ土にうめた。
九月三日、撫養兵長らは志村大尉と新垣のゴウをでた。米軍のトラックを待つ戦友たちの姿は、将校、下士官以外だれひとりまともな姿をしている者はいなかった。
潜伏五カ月。頭の毛はのびほうだい。上衣は破れてなくなりシヤツは名前ばかり。ズボンはすそが切れて半ズボンになっている。くつはなく、全員はだしだ。
この姿で敵情をさぐり、水をくみ、食糧をあさって将校を養ってきたのだ。苦労した兵隊のいつわりない姿が、ギラギラする炎天下にさらされていた。
〈苦しかったなあ・・・それでも、野ざらしになって死んでいった多くの戦友たちのことを思えば、生きているだけおれたちは幸福なんだ〉米軍の武装解除をうけ、食糧を手渡された。トラックがきた。
戦死した戦友たちよ。申しわけないなあ・・・きみたちをここにおいて去るのは、うしろがみをひかれるようだ。去るにしのびない。ゆるしてくれ、ゆるしてくれ・・・
兵長は乗車をうながされ、一行とともにトラックに乗った。トラックが進む。戦死したあの顔、この顔が思いうかぶ。すわっている気力もなく、みんな横になってゆられている。
〈戦争はまけたんだ。苦労のかずかずは、水のあわになってしまった。敗残兵なんだ。捕虜なんだ・・・〉
熱い涙がいくすじも、兵長のほほを伝って落ちた。
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